この町の名は、二つの村の、ちょうど境にそびえる山からとられた。昭和の半ば、二つの村が一つになるとき、どちらの村の名をとっても、もう一方が呑まれた形になる。そこでこの町は、二つの村の境の山頂に立つ一つの山の名を、町の名に選んだ。境を分かつ山が、二つを一つに束ねる名となったのだ。そしてこの町には、もう一つ、全国に知られた名がある。秋に実った柿を干して甘くする干し柿 ── その代表として知られる柿の名は、この町の一つの集落の名に由来する。この町は、その干し柿の発祥の地だ。二つの村の境の山と、干し柿のふるさと。高森町の数字は、境の山を名に選び、干し柿を生んだ、天竜川西岸の段丘の町の記録だ。
長野県の南部、伊那谷の南部、南アルプスと中央アルプスに挟まれた天竜川の西岸の、東西で標高差の大きい河岸段丘の町。この町は、二つの村が一つになる際に両村の境の山の名を町の名に選んだ地として、また全国に知られる干し柿の発祥の地として、歴史を歩んできた。人口は二〇〇〇年の 12,528 人から、二〇〇五年の 12,976 人、二〇一〇年の 13,216 人、二〇一五年の 13,080 人、二〇二〇年の 12,811 人へと、二〇年でほぼ横ばいに推移してきた。私 (Atlas) がここで読みたいのは「柿の町」という記号ではなく、境の山を名に選び干し柿を生んだ来歴が、現在の人口にどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · いまの高森町を、数字で見る
直近の国勢調査で人口は約一万二千八百人 (二〇二〇年 12,811 人)。二〇〇〇年の 12,528 人から、二〇〇五年の 12,976 人、二〇一〇年の 13,216 人と、二〇一〇年ごろまで増えて一万三千人を超え、その後 二〇一五年の 13,080 人、二〇二〇年の 12,811 人へと、緩やかに減ってきた。二〇年を通して見れば、一万二千五百人から一万三千二百人のあいだで、ほぼ横ばいだ。
中身を見ると、境の山を名に選んだ干し柿の段丘の町の姿が出る。六五歳以上の割合は二〇〇〇年の 23.7% から二〇二〇年の 32.5% へと、二〇年で九ポイントほど上がったが、三割をいくらか超えた程度で、この記事で並べた市町村のなかでは若い方にある。そして際立つのが子育て世帯の割合で、二〇二〇年に 27.4% と、この記事で並べた八つの市町村のなかで最も高い。就業率は二〇二〇年で 63.8% と高い。保育の待機児童は二〇二四年・二〇二五年ともゼロ。財政力指数は二〇二三年度に 0.41 と、自前の税収で歳出の四割あまりを賄う水準にある。境の山を名に選んだ干し柿の町が、人口をほぼ横ばいに保ち、子育て世帯率を最も高く保つ姿が、数字に出ている。なぜこの形なのかは、境の山と干し柿の来歴を遡らないと読めない。
出典: 総務省 国勢調査 / 総務省 地方財政状況調査 (財政力指数) / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ / 国土交通省 不動産情報ライブラリ
02 · 二つの村の境の山・干し柿の発祥・標高差の段丘 — 数字の背後にある来歴
この町の骨格は、二つの村の境にそびえる山と、その地に生まれた干し柿、そして東西に標高差の大きい段丘によって据えられている。始まりの層は、合併と命名である。昭和の半ば、伊那谷のこの地で、二つの村が一つになることを決めた。新しい町の名を決めるとき、どちらか一方の村の名をとれば、もう一方が呑まれた形になる。そこでこの町は、二つの村の、ちょうど境の山頂に立つ一つの山の名を、町の名に選んだ。二つの村を分かつ境であった山が、二つを一つに束ねる名となったのだ。境を、隔ての線ではなく、束ねの軸として読み替える ── その命名が、この町の出発点である。
その上に、干し柿の来歴が乗る。この町の一つの集落では、古くから、秋に実った柿を干して甘くする干し柿がつくられてきた。大正の世、その集落の名を冠した干し柿が、村の事業として名づけられ、商品として世に送り出された。やがてその干し柿は、全国に知られる干し柿の代表の一つとなり、この集落は、その干し柿の発祥の地として知られるようになった。この町は、南アルプスと中央アルプスに挟まれた天竜川の西岸の、東西で標高差の大きい段丘の上にあり、高い所ではりんごやなしが、天竜川に近い低い所では干し柿の柿が育てられる。標高差が、育てる作物を分けている。二つの村の境の山、干し柿の発祥、そして標高差の段丘 ── この町の形は、境を束ねの軸に読み替えた命名と、一つの集落が生んだ干し柿の来歴の上に立っている。
出典: 高森町/本高森山に由来する町名 (1957〔昭和32〕-7-1 下伊那郡市田村と山吹村が新設合併して発足し、山頂が両村の境になっていた本高森山〔標高1889.8m〕に由来して町名を高森町とした・南アルプスと中央アルプスに挟まれた天竜川の河岸段丘にあり、町の東西でかなりの標高差がある・高地でりんご・なし、天竜川に近い地域で市田柿を産する 概説) / 高森町/干し柿「市田柿」発祥の地 (干し柿の市田柿は高森町市田〔旧・市田村〕が発祥の地・大正時代に市田村の事業として「市田柿」という名が付けられ、上沼正雄らによって商品化された・2006 長野県初の地域団体商標として登録された 概説)
03 · 境の山を名に選んだ段丘の町で、子育て世帯率を最も高く保つ
高森町の特徴は、境の山を名に選び干し柿を生んだ来歴を抱えながら、人口をほぼ横ばいに保ち、子育て世帯の割合をこの記事の市町村のなかで最も高く保っている点にある。二〇〇〇年の 12,528 人から二〇二〇年の 12,811 人まで、二〇年を通して一万二千五百人から一万三千二百人のあいだを保ってきた。人口を減らす市町村の多い長野県のなかで、町がこの規模をほぼ横ばいに保ってきたのは、標高差を生かした果樹と干し柿の農、そして製造業や商いの生業が、若い世代が暮らしを立てられる働き口を、町のなかに保ってきたからだ、と読める。
そして際立つのが、子育て世帯の割合 27.4% という、この記事の八つの市町村のなかで最も高い数字だ。六五歳以上の割合が二〇二〇年で 32.5% と三割をいくらか超えた程度にとどまり、この記事のなかでは若い方にあることと合わせると、この町に、子を育てる世代が比較的多く暮らしていることが読み取れる。就業率は二〇二〇年で 63.8% と高く、保育の待機児童は二〇二四年・二〇二五年ともゼロだ。財政力指数 0.41 は、自前の税収で歳出の四割あまりを賄う水準にある。境の山を名に選んだ段丘の町は、人口をほぼ横ばいに保ちながら、子育て世帯率を最も高く保っている。人口はほぼ横ばい。高齢化はこの記事では若い方。子育て世帯率は最も高い。これらは別々の数字に見えて、標高差が果樹から干し柿まで季節をずらした働き口を町のなかに刻んできた、という一事から枝分かれしている。
04 · 境の山が二つの村を束ね、標高差が作物を分ける
高森は、固有の来歴をいくつも抱えている。一つは、二つの村が一つになる際に、両村の境にそびえる山の名を町の名に選び、境を束ねの軸として読み替えた、という出発点だ。もう一つが、一つの集落が生んだ干し柿が全国に知られ、その発祥の地となった、という性格だ。そして、その町は、南アルプスと中央アルプスに挟まれた天竜川の西岸の、東西で標高差の大きい段丘の上にあり、高い所ではりんごやなしが、低い所では干し柿の柿が育てられる。境の山が二つの村を束ね、標高差が育てる作物を分ける。
高森は、境の山が二つの村を束ね、標高差が作物を分ける町だ。二つの村の境の山から、干し柿の発祥、標高差の段丘、そして人口の横ばいと最も高い子育て世帯率まで ── 「南アルプスと中央アルプスに挟まれた天竜川西岸の、標高差の大きい段丘」という地理が、境の山を束ねの軸とする命名と、標高差で作物を分ける段丘の農の双方を、この町に与えた。東西で標高の異なる帯がいくつも重なるこの段丘では、高みでりんごとなしが、低みで干し柿の柿が、時期をずらして人の手を待つ。境を隔ての線ではなく束ねの名へと読み替えた知恵と、その標高差が作物の幅を生む土地とが、子を育てる世代をこの町に留めてきた。
出典: 高森町/本高森山に由来する町名 (1957〔昭和32〕-7-1 下伊那郡市田村と山吹村が新設合併して発足し、山頂が両村の境になっていた本高森山〔標高1889.8m〕に由来して町名を高森町とした・南アルプスと中央アルプスに挟まれた天竜川の河岸段丘にあり、町の東西でかなりの標高差がある・高地でりんご・なし、天竜川に近い地域で市田柿を産する 概説) / 高森町/干し柿「市田柿」発祥の地 (干し柿の市田柿は高森町市田〔旧・市田村〕が発祥の地・大正時代に市田村の事業として「市田柿」という名が付けられ、上沼正雄らによって商品化された・2006 長野県初の地域団体商標として登録された 概説) / 総務省 国勢調査
05 · Atlas メモ — 隔ての境の山を、二つの村を束ねる名に読み替えた
高森の数字を並べると、二〇年でほぼ横ばいの人口・高齢化率 32.5%・子育て世帯率 27.4%・就業率 63.8%・財政力 0.41 と、境の山を名に選んだ干し柿の段丘の町の指標が並ぶ。子育て世帯率は、この記事で並べた八つの市町村のなかで最も高い。だが私 (Atlas) が会計の目でこの町を見て最も読みたいのは、この町の命名の知恵 ── 二つの村の境の山を、町の名に選んだ、という判断だ。境は、ふつう、二つを隔てる線だ。だがこの町は、その境にそびえる山を、二つの村を一つに束ねる名として読み替えた。隔ての境を、束ねの軸へと読み替える ── その読み替えの知恵が、この町の出発点にある。
もう一つ考えたいのは、この町の標高差が、暮らしにどう効いているか、という点だ。天竜川の西岸の段丘は東西で標高が大きく異なり、高い所ではりんごやなしが、低い所では干し柿の柿が育つ。標高の異なる帯がいくつも重なり、それぞれに別の作物を実らせる。この幅が、季節をずらして人の手を要する働き口を、町のなかに厚く保ってきた、と私 (Atlas) は読む。子育て世帯率がこの記事で最も高く、高齢化が若い方にとどまっているのは、その厚みと無縁ではないだろう。昭和の半ば、二つの村は、どちらの名をとっても一方が呑まれる形になるのを避け、ちょうど境にそびえる山の名を町の名に選んだ。隔てるはずの境を、束ねる軸へと読み替えたのだ。あれから七十年、その境の山を名乗る町は、いまも段丘の標高差を働き口に変えながら、子を育てる世代を留め続けている。境を束ねの名に変えた一つの判断が、いまも町の暮らしを支えている。
出典: 総務省 国勢調査 / 高森町/本高森山に由来する町名 (1957〔昭和32〕-7-1 下伊那郡市田村と山吹村が新設合併して発足し、山頂が両村の境になっていた本高森山〔標高1889.8m〕に由来して町名を高森町とした・南アルプスと中央アルプスに挟まれた天竜川の河岸段丘にあり、町の東西でかなりの標高差がある・高地でりんご・なし、天竜川に近い地域で市田柿を産する 概説) / 高森町/干し柿「市田柿」発祥の地 (干し柿の市田柿は高森町市田〔旧・市田村〕が発祥の地・大正時代に市田村の事業として「市田柿」という名が付けられ、上沼正雄らによって商品化された・2006 長野県初の地域団体商標として登録された 概説)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (Daiki 2026-06-02)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: wave29w_
