この町は、戦国の武将が川中島へ出るための前線基地として、川辺に城を築いたことから始まった。城下には多くの寺が集まり、寺町が育つ。江戸の世には、川の舟運と越後へ抜ける街道で物が行き交う物流の町であった。だが明治のある日、この町を通らない鉄道が引かれる。町は物流の拠点としての役割を失い、仏壇と紙の手仕事、そして豪雪に耐える暮らしの町として残った。雪国の寺町は、いまは人口を二万のあたりへ大きく減らしてきた。飯山市の数字は、川の舟運と、鉄道に迂回されたという来歴が刻まれた町の記録だ。
長野県の最も北、新潟県に隣接する千曲川左岸の豪雪地に開ける市。この町は、戦国の武将が築いた城を中心に寺町として育ち、江戸期は川の舟運と街道で物流の町として栄えたが、明治の鉄道に町を迂回されて以後、仏壇と紙の手仕事の町として歩んできた。人口は二〇〇〇年の 26,420 人から、二〇〇五年の 24,960 人、二〇一〇年の 23,545 人、二〇一五年の 21,438 人、二〇二〇年の 19,539 人へと、二〇年で二万を割って減ってきた。私 (Atlas) がここで読みたいのは「雪国の寺町」という記号ではなく、川の舟運と鉄道に迂回されたという来歴が、現在の人口や財政にどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · いまの飯山市を、数字で見る
直近の国勢調査で人口は約二万人 (二〇二〇年 19,539 人)。二〇〇〇年の 26,420 人から、二〇〇五年の 24,960 人、二〇一〇年の 23,545 人、二〇一五年の 21,438 人を経て、二〇二〇年には 19,539 人と、二〇年で七千人近くが減り、二万を割った。北信濃の市のなかでも、その坂は急な方だ。
中身を見ると、鉄道に迂回された雪国の寺町の市の姿が出る。六五歳以上の割合は二〇〇〇年の 26.4% から二〇二〇年の 38.1% へと、二〇年で一二ポイントほど上がり、四割に近づいた。子育て世帯の割合は二〇二〇年で 19.5%。保育の待機児童は二〇二四年・二〇二五年ともゼロ。財政力指数は二〇二三年度に 0.34 と、自前の税収では歳出の三割あまりしか賄えず、地方交付税に頼る度合いの大きい水準にある。城を中心に寺町として育ち、鉄道に迂回された雪国の市が、人口を二万を割って減らす姿が、数字に出ている。なぜこの形なのかは、城と舟運と鉄道の来歴を遡らないと読めない。
出典: 総務省 国勢調査 / 総務省 地方財政状況調査 (財政力指数) / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ / 国土交通省 不動産情報ライブラリ
02 · 戦国の城と寺町・川の舟運・鉄道に迂回された町 — 数字の背後にある来歴
この町の骨格は、戦国の城を中心とした寺町という出発点と、川の舟運による物流、そして鉄道に迂回されたという経験によって据えられている。始まりの層は、城と寺町である。戦国の世、川中島へ出る武将の前線基地として、千曲川の左岸に城が築かれ、城下町が形成された。城下には多くの寺が集まり、雪国らしい連帯の気風とともに、寺の集まる寺町の文化が育った。城と寺町が、この町の古い土台であった。
その上に、江戸期の物流が乗る。千曲川の舟運と、越後へ通じる街道とが結びつき、この町は物が行き交う物流の拠点として栄えた。新田の開拓と用水の整備も進み、雪国の農の基盤も固まった。だが明治のある日、この町を通らない鉄道が引かれる。物流の動脈が川と街道から鉄道へ移るなか、町を迂回した鉄道は、この町から物流の拠点としての役割を奪った。以後この町は、仏壇を作る手仕事や、雪国の紙漉きといった地場の産業と、寺町の文化を頼りに歩んだ。のちに、新しい高速の鉄道の駅がこの町に開かれる日も来るが、それは物流の拠点であった時代をはるかに過ぎてからのことだ。戦国の城と寺町、川の舟運、そして鉄道に迂回された町 ── この町の形は、城を中心に育った寺町が、物流の拠点の座を鉄道に奪われた来歴の上に立っている。
出典: 飯山市/飯山城と寺町・舟運 (1564 上杉謙信の川中島出陣の前線基地として千曲川左岸に飯山城が築かれ城下町が形成された・江戸初期から中期にかけて千曲川の舟運と越後へ通じる街道で物流機能が発達し、正受庵をはじめとする寺社の集まる寺町文化が育った 概説) / 飯山市/鉄道の迂回と仏壇・豪雪・新幹線 (1897 明治30 に飯山を経由しない信越線が開通したことで物流拠点としての機能を徐々に失い、その後は飯山仏壇/内山紙等の伝統工芸の地場産業で発展した雪国の町・2015-3-14 北陸新幹線の金沢延伸で飯山駅が開業した 概説)
03 · 鉄道に迂回された雪国で、人口を二万を割って減らす
飯山市の特徴は、城と寺町という来歴を抱えながら、人口を二〇年で二万を割って減らしている点にある。二〇〇〇年の 26,420 人から二〇二〇年の 19,539 人まで、二〇年で七千人近く、二割を超えて減った。物流の拠点であった町が、明治に鉄道に迂回されて以後、物が集まり人が行き交う理由を一つ失った。その上、新潟との県境の豪雪地という地形は、若い世代が留まる場を作りにくく、人口の流出が続いてきた、と読める。六五歳以上の割合が二〇二〇年で 38.1% と四割に近づいたことは、その帰結だ。
その一方で、保育の待機児童は二〇二四年・二〇二五年ともゼロで、子育て世帯の割合は二〇二〇年で 19.5%。財政力指数 0.34 は、自前の税収では歳出の三割あまりしか賄えない水準で、地方交付税に頼る度合いの大きさを示している。仏壇や紙の手仕事、そして雪国の農や、近年の新しい鉄道の駅がもたらす人の流れが、税源をいくらか支えてはいるが、物流の拠点を失った影響は大きい。鉄道に迂回された雪国の市は、いまは人口を二万を割って減らしながら、街の年齢を上げている。人口は二万を割り、高齢化は四割に近づき、財政の体力は三割あまり。物流の拠点であった町から線路が外れた一日が、その後の百年の細りを決めた ── 飯山の数字は、つまるところその迂回の帰結を映している。
04 · 城を中心に育った寺町が、物流の座を鉄道に奪われた顛末
飯山が抱える来歴は、一つではない。戦国の武将が川中島へ出る前線基地として築いた城を中心に、多くの寺が集まる寺町として育った、という出発点がある。江戸期に川の舟運と越後への街道で物流の拠点として栄えた、という性格がある。そして、明治に町を迂回する鉄道が引かれ、物流の拠点としての役割を失った、という経験を抱える。新潟との県境の豪雪地が、雪国の連帯の気風と寺町の文化を育てる一方で、若い世代の留まる場を作りにくくした。
飯山は、城を中心に育った寺町が、物流の座を鉄道に奪われた町だ。戦国の城と寺町から、川の舟運、鉄道の迂回、そして仏壇と紙の手仕事まで ── 新潟との県境の千曲川左岸の豪雪地が、雪国の寺町の文化と、川と街道の物流の双方をこの町に与え、そしてその物流の座を鉄道に明け渡させた。城下に集まった寺と、舟運で栄えた問屋が、線路から外れたのちは仏壇と紙の手仕事に軸を移した。明治のある日、この町を線路が通らなかった。それが、その後の長い細りの始まりだった。
出典: 飯山市/飯山城と寺町・舟運 (1564 上杉謙信の川中島出陣の前線基地として千曲川左岸に飯山城が築かれ城下町が形成された・江戸初期から中期にかけて千曲川の舟運と越後へ通じる街道で物流機能が発達し、正受庵をはじめとする寺社の集まる寺町文化が育った 概説) / 飯山市/鉄道の迂回と仏壇・豪雪・新幹線 (1897 明治30 に飯山を経由しない信越線が開通したことで物流拠点としての機能を徐々に失い、その後は飯山仏壇/内山紙等の伝統工芸の地場産業で発展した雪国の町・2015-3-14 北陸新幹線の金沢延伸で飯山駅が開業した 概説) / 総務省 国勢調査
05 · Atlas メモ — 線路が町を外れたあと、手仕事の束が雪国に残った
飯山の数字を並べると、二〇年で七千人近い人口減・高齢化率 38.1%・子育て世帯率 19.5%・財政力 0.34 と、鉄道に迂回された雪国の寺町の市の指標が、いずれも北信濃の市のなかでは厳しい水準で並ぶ。だが私 (Atlas) が公認会計士として読みたいのは、この町の衰えの起点が「鉄道に迂回された」という、町自身の意思の外で起きた出来事であった、という来歴だ。物流の拠点として栄えた町が、物流の動脈が鉄道へ移るその転換点で、線路から外された。資源が尽きたのでも、産業が時代に合わなくなったのでもなく、新しい交通の経路が町を通らなかったこと ── その一点が、物流の拠点としての座を奪った、という構図は、この町の人口の減りをよく説明する。
もう一つ考えたいのは、物流の座を失ったのちも、この町が仏壇や紙の手仕事、寺町の文化、そして雪国の暮らしを頼りに歩み続けてきた、という点だ。物流の拠点という大きな役割を失った町が、手仕事と文化と農という、小さく確かな生業に軸を移して残った。財政力指数 0.34 という、三割あまりしか賄えない数字は厳しいが、その数字の裏には、大きな一つの役割を失っても、小さな生業を束ねて雪国に留まり続けてきた町の姿がある、とも読める。線路が町を外れたあと、飯山は仏壇の漆と紙漉きと雪国の暮らしという、小さく確かな生業に軸を移した。財政力 0.34 の厳しさの裏に、その手仕事の束がある。この雪の町に何を見るかは、雪を踏んで訪れる人の目にゆだねたい。
出典: 総務省 国勢調査 / 飯山市/飯山城と寺町・舟運 (1564 上杉謙信の川中島出陣の前線基地として千曲川左岸に飯山城が築かれ城下町が形成された・江戸初期から中期にかけて千曲川の舟運と越後へ通じる街道で物流機能が発達し、正受庵をはじめとする寺社の集まる寺町文化が育った 概説) / 飯山市/鉄道の迂回と仏壇・豪雪・新幹線 (1897 明治30 に飯山を経由しない信越線が開通したことで物流拠点としての機能を徐々に失い、その後は飯山仏壇/内山紙等の伝統工芸の地場産業で発展した雪国の町・2015-3-14 北陸新幹線の金沢延伸で飯山駅が開業した 概説)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (Daiki 2026-06-02)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: wave26w_





