この市の名は、合併した二つの町と村の名から一字ずつを取って作られた。一つの町には、佐渡の金や大名の行列が通った街道の宿があり、その宿は役割を終えたのち、蚕の種を商う里へと姿を変えた。もう一つの村の名は、古く馬を産した牧にちなむ。日当たりの良い乾いた丘は、いまは国内一のくるみを実らせ、桑畑であった斜面には葡萄が植えられて、小さな酒蔵がいくつも集まる。街道の宿と蚕種の里は、いまは果実と葡萄酒の丘となり、人口を三万のあたりにほぼ保ってきた。東御市の数字は、街道の宿と蚕種の里が果実の丘になった来歴が刻まれた市の記録だ。
長野県の東部、千曲川の左岸に開ける市。この市は、佐渡の金や大名の行列が通った北国街道の宿と、その宿が姿を変えた蚕種の里、そして日当たりの良い乾いた丘の果実とくるみと葡萄酒という、いくつもの来歴を重ねて歩んできた。人口は二〇〇五年の 31,271 人から、二〇一〇年の 30,696 人、二〇一五年の 30,107 人、二〇二〇年の 30,122 人へと、三万のあたりをほぼ保ってきた。私 (Atlas) がここで読みたいのは「葡萄酒の丘」という記号ではなく、街道の宿と蚕種の里が果実の丘になった来歴が、現在の人口や財政にどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · いまの東御市を、数字で見る
直近の国勢調査で人口は約三万人 (二〇二〇年 30,122 人)。合併直後の二〇〇五年の 31,271 人から、二〇一〇年の 30,696 人、二〇一五年の 30,107 人を経て、二〇二〇年には 30,122 人と、一五年で千人ほどの減りにとどまり、三万のあたりをほぼ保った。直近の五年では、わずかに増えてさえいる。
中身を見ると、街道の宿と蚕種の里を起こりとする果実の丘の市の姿が出る。六五歳以上の割合は二〇〇五年の 23.0% から二〇二〇年の 31.0% へと、一五年で八ポイントほど上がり、三割を超えた。子育て世帯の割合は二〇二〇年で 23.2% と、内陸の市のなかでは高めだ。保育の待機児童は二〇二四年・二〇二五年ともゼロ。財政力指数は二〇二三年度に 0.48 と、自前の税収では歳出の半ばに届かない水準にある。街道の宿と蚕種の里に始まる果実と葡萄酒の丘の市が、人口を三万のあたりにほぼ保ちながら街の年齢を上げる姿が、数字に出ている。なぜこの形なのかは、宿と蚕と果実の来歴を遡らないと読めない。
出典: 総務省 国勢調査 / 総務省 地方財政状況調査 (財政力指数) / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ / 国土交通省 不動産情報ライブラリ
02 · 北国街道の宿・蚕種の里・くるみと葡萄酒の丘・合成の市名 — 数字の背後にある来歴
この市の骨格は、北国街道の宿という出発点と、その宿が姿を変えた蚕種の里、日当たりの良い乾いた丘の果実、そして二つの町村を一字ずつで束ねた合成の市名によって据えられている。始まりの層は、街道の宿である。江戸の初め、佐渡の金を江戸へ運ぶ道として、また大名の行列の通う道として開かれた北国街道に、この地の宿が栄えた。だが鉄道の時代になると、宿は街道の役割を失う。役割を失った宿は、蚕の種を商う里へと姿を変え、江戸の旅籠造りと明治の蚕室造りが並ぶ町並みが残った。街道の宿と、それが姿を変えた蚕種の里が、この市の古い土台であった。
その土台の上に、近代以後の果実が乗る。日当たりの長く雨の少ないこの丘は、くるみを実らせる地味を持ち、いまは国内一のくるみの里となった。さらに、かつて桑を植えた斜面には葡萄が植えられ、果実の酒を造る小さな酒蔵がいくつも集まる丘となった。そして平成の世、二つの町と村が合併し、その名から一字ずつを取って、新しい市の名が作られた。北国街道の宿、蚕種の里、くるみと葡萄酒の丘、そして合成の市名 ── この市の形は、街道の宿と蚕種の里が、日当たりの良い丘で果実と葡萄酒の里へと姿を変えた来歴の上に立っている。
出典: 東御市/北国街道海野宿と蚕種・くるみ・ワイン特区 (1625 北国街道の宿場として開かれた海野宿は佐渡の金の輸送や大名行列に用いられ、宿場の機能を失った明治以後は蚕種〔養蚕〕の里へと姿を変え、江戸期の旅籠造りと明治の蚕室造りが並ぶ町並みが重要伝統的建造物群保存地区/日本の道百選となった・東御市はくるみ〔信濃くるみ〕の生産が日本一で、2008 には長野県内で初めてワイン特区に指定され千曲川ワインバレーの東地区として小規模ワイナリーが集まる 概説) / 東御市/誕生と合成地名 (2004-4-1 小県郡東部町と北佐久郡北御牧村の新設合併で東御市が発足・市名は東部町の「東」と北御牧村の「御」の各一字を取った合成地名・北御牧村の名は古くから馬の産地として知られた望月牧の北半が村域であったことに由来する 概説)
03 · 果実と葡萄酒の丘で、人口を三万のあたりにほぼ保つ
東御市の特徴は、街道の宿と蚕種の里という来歴を抱えながら、人口を三万のあたりにほぼ保っている点にある。合併直後の二〇〇五年の 31,271 人から二〇二〇年の 30,122 人まで、一五年で千人ほどの減りにとどまり、直近の五年ではわずかに増えてさえいる。北信濃や伊那谷の多くの市が一割二割と人口を減らすなか、ほぼ横ばいを保てたのは、この丘が一つの生業に頼らず、くるみや葡萄酒という新しい果実の里へと、桑畑の斜面を作り替えてきたからだ、と読める。古い蚕種の里が、果実と葡萄酒の丘へと姿を変えたことが、人を留める力を保った。
だが横ばいの内側で、街の年齢は上がっている。六五歳以上の割合は二〇二〇年で 31.0% と三割を超えた。一方で子育て世帯の割合は二〇二〇年で 23.2% と内陸の市のなかでは高めで、保育の待機児童は二〇二四年・二〇二五年ともゼロ。財政力指数 0.48 は、自前の税収では歳出の半ばに届かない水準で、地方交付税に頼る度合いの大きさを示している。果実と葡萄酒の丘の市は、いまは人口を三万のあたりにほぼ保ちながら、街の年齢を上げている。人口はほぼ横ばい、高齢化は三割を超え、財政の体力は半ばに届かない。街道の宿が蚕種の里へ、桑畑が葡萄畑へ ── 日当たりの良い同じ丘を時代ごとに読み替えてきたことが、東御の数字を三万のあたりに留めている。
04 · 街道の宿と蚕種の里が、日当たりの良い丘で果実の里になった変遷
東御が抱える来歴は、一つではない。佐渡の金や大名の行列が通った北国街道の宿が、鉄道の時代に役割を失ったのち、蚕の種を商う里へと姿を変え、江戸の旅籠造りと明治の蚕室造りが並ぶ町並みを残した、という来歴がある。日当たりの長く雨の少ない乾いた丘が、いまは国内一のくるみの里であり、桑畑の斜面が葡萄酒の丘へと作り替えられた、という性格がある。そして、二つの町と村の名から一字ずつを取った合成の市名を持つ。千曲川左岸の日当たりの良い乾いた丘が、桑も、くるみも、葡萄も実らせる地味をこの市に与えた。
東御は、街道の宿と蚕種の里が、日当たりの良い丘で果実の里になった市だ。北国街道の宿から、蚕種の里、くるみと葡萄酒の丘、そして合成の市名まで ── 千曲川左岸の日当たりの良い乾いた丘が、街道の宿と蚕の里を育て、そのまま果実と葡萄酒の里へと作り替えられた。同じ一枚の斜面が、かつては桑を植えられ、いまは葡萄を植えられている。地味は変わらず、人がその読み方だけを時代ごとに替えてきた。
出典: 東御市/北国街道海野宿と蚕種・くるみ・ワイン特区 (1625 北国街道の宿場として開かれた海野宿は佐渡の金の輸送や大名行列に用いられ、宿場の機能を失った明治以後は蚕種〔養蚕〕の里へと姿を変え、江戸期の旅籠造りと明治の蚕室造りが並ぶ町並みが重要伝統的建造物群保存地区/日本の道百選となった・東御市はくるみ〔信濃くるみ〕の生産が日本一で、2008 には長野県内で初めてワイン特区に指定され千曲川ワインバレーの東地区として小規模ワイナリーが集まる 概説) / 東御市/誕生と合成地名 (2004-4-1 小県郡東部町と北佐久郡北御牧村の新設合併で東御市が発足・市名は東部町の「東」と北御牧村の「御」の各一字を取った合成地名・北御牧村の名は古くから馬の産地として知られた望月牧の北半が村域であったことに由来する 概説) / 総務省 国勢調査
05 · Atlas メモ — 同じ丘の地味を、桑から葡萄へ読み替えてきた
東御の数字を並べると、三万のあたりを保つ人口・高齢化率 31.0%・子育て世帯率 23.2%・財政力 0.48 と、街道の宿と蚕種の里に始まる果実の丘の市の指標が並ぶ。だが私 (Atlas) が公認会計士として読みたいのは、この丘が「一つの生業を失うたびに、同じ土地の地味を生かして次の生業へ作り替えてきた」という来歴だ。街道の宿は鉄道に役割を奪われたが、その宿は蚕種の里へと姿を変えた。蚕の時代が遠ざかると、桑を植えた斜面には葡萄が植えられ、くるみの里と葡萄酒の丘へと作り替えられた。日当たりの良い乾いた丘という同じ地味が、桑にも、くるみにも、葡萄にも生かされた、という構図は、この市の人口がほぼ横ばいを保ってきた理由をよく説明する。
もう一つ考えたいのは、その作り替えが「古いものを捨てる」のではなく「同じ土地の条件を読み替える」形で進んできた、という点だ。葡萄酒の丘は、かつての桑畑の斜面であり、その桑畑は街道の宿が姿を変えた蚕種の里に連なる。土地の地味は変わらず、人がその読み方を時代に合わせて替えてきた。財政力指数 0.48 という、半ばに届かない数字は決して厚くはないが、その数字の裏には、同じ丘で生業を作り替え続けて三万を保ってきた市の姿がある、と読める。宿が蚕種の里になり、桑の斜面が葡萄の畑になった。日当たりの良い乾いた丘という地味は変わらず、人がその読み方を時代ごとに替えてきただけだ。次にこの丘を何の里と読み替えるかは、いまここに立つ人の手に残されている。
出典: 総務省 国勢調査 / 東御市/北国街道海野宿と蚕種・くるみ・ワイン特区 (1625 北国街道の宿場として開かれた海野宿は佐渡の金の輸送や大名行列に用いられ、宿場の機能を失った明治以後は蚕種〔養蚕〕の里へと姿を変え、江戸期の旅籠造りと明治の蚕室造りが並ぶ町並みが重要伝統的建造物群保存地区/日本の道百選となった・東御市はくるみ〔信濃くるみ〕の生産が日本一で、2008 には長野県内で初めてワイン特区に指定され千曲川ワインバレーの東地区として小規模ワイナリーが集まる 概説) / 東御市/誕生と合成地名 (2004-4-1 小県郡東部町と北佐久郡北御牧村の新設合併で東御市が発足・市名は東部町の「東」と北御牧村の「御」の各一字を取った合成地名・北御牧村の名は古くから馬の産地として知られた望月牧の北半が村域であったことに由来する 概説)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (Daiki 2026-06-02)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: wave27w_





