この町は、土地の名ではなく、川の名を、自らの名に選んだ町だ。昭和の半ば、二つの村が一つになることを決めたとき、その二つは、それぞれ別の郡に属していた。郡という、古くからの区分の線を越えて、二つの村は手を結んだのだ。新しい町の名を決めるとき、どちらか一方の村の名をとれば、もう一方が呑まれた形になる。そこでこの町は、いずれの村の名でもなく、中央アルプスから流れ下って二つの村の地を潤す、一筋の川の名を、町の名に選んだ。郡の線を越えて結ばれた二つの村は、川の名のもとで対等に一つになった。松川町の数字は、郡をまたいだ二つの村が、川の名を選んで一つになった、果樹の段丘の町の記録だ。
長野県の南部、伊那谷のほぼ中央、天竜川と、中央アルプスから流れ下る川がつくった段丘の町。この町は、郡をまたいで二つの村が合併し、いずれの村の名でもなく、中央アルプスから流れる川の名を町の名に選んだ地として、また果樹の栽培の盛んな地として、歴史を歩んできた。人口は二〇〇〇年の 14,070 人から、二〇〇五年の 14,117 人、二〇一〇年の 13,676 人、二〇一五年の 13,167 人、二〇二〇年の 12,530 人へと、二〇年で千五百人ほどを減らしてきた。私 (Atlas) がここで読みたいのは「果樹王国」という記号ではなく、郡をまたいだ二つの村が川の名を選んで一つになった来歴が、現在の人口や暮らしにどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · いまの松川町を、数字で見る
直近の国勢調査で人口は約一万二千五百人 (二〇二〇年 12,530 人)。二〇〇〇年の 14,070 人から、二〇〇五年の 14,117 人、二〇一〇年の 13,676 人、二〇一五年の 13,167 人を経て、二〇二〇年の 12,530 人へと、二〇年で千五百人ほどが減った。
中身を見ると、郡をまたいで一つになった果樹の段丘の町の姿が出る。六五歳以上の割合は二〇〇〇年の 23.5% から二〇二〇年の 34.5% へと、二〇年で一一ポイントほど上がった。子育て世帯の割合は二〇二〇年で 23.8% と高めだ。そして就業率は二〇二〇年で 66.3% と、この記事で並べた八つの市町村のなかでも指折りに高い。これは、天竜川と中央アルプスから流れる川がつくった段丘の上で営まれる果樹の栽培が、働き口を厚く支えていることの表れと読める。保育の待機児童は二〇二四年・二〇二五年ともゼロ。財政力指数は二〇二三年度に 0.38 と、自前の税収では歳出の四割近くを賄う水準にある。郡をまたいで一つになった果樹の町が、人口を減らしながらも就業率を高く保つ姿が、数字に出ている。なぜこの形なのかは、合併と川の名の来歴を遡らないと読めない。
出典: 総務省 国勢調査 / 総務省 地方財政状況調査 (財政力指数) / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ / 国土交通省 不動産情報ライブラリ
02 · 郡をまたいだ合併・川の名の選択・段丘の果樹 — 数字の背後にある来歴
この町の骨格は、郡をまたいで結ばれた二つの村と、いずれの村の名でもなく選ばれた川の名、そして段丘の上の果樹によって据えられている。始まりの層は、合併である。昭和の半ば、伊那谷のこの地で、二つの村が一つになることを決めた。だが、その二つの村は、それぞれ別の郡に属していた。郡は、古くからの土地の区分であり、ふつう、合併はその区分のなかで行われる。この二つの村は、その郡という区分の線を越えて、手を結んだのだ。郡の線を越えて結ばれた二つの村、というのが、この町の出発点である。
その二つの村が、新しい町の名を決めるとき、難しさが生じた。どちらか一方の村の名をとれば、もう一方が呑まれた形になる。郡をまたいで対等に手を結んだ二つの村にとって、それは収まりが悪い。そこでこの町は、いずれの村の名でもなく、中央アルプスから流れ下って二つの村の地を潤す、一筋の川の名を、町の名に選んだ。どちらの土地のものでもない、双方の地を潤す川の名のもとで、二つの村は対等に一つになった。のちにもう一つの村も加わり、町の形が整った。その川と天竜川がつくった段丘の上では、なしやりんごといった果樹が育てられ、「果樹王国」と呼ばれるほどの果樹の地となった。郡をまたいだ合併、川の名の選択、そして段丘の果樹 ── この町の形は、郡の線を越えて結ばれた二つの村が、川の名のもとで一つになった来歴の上に立っている。
出典: 松川町/郡をまたいだ合併と川の名 (1956〔昭和31〕-9-20 下伊那郡大島村と上伊那郡上片桐村が郡をまたいで合併し、中央アルプスから流れる片桐松川より「松川」の名をとって松川町と命名された・1959-4-1 生田村を編入し、同年8-1 高森町の一部を編入して現在の町域となった・大島地区は古くから三州街道の要地で大島宿が、上片桐地区には片桐宿が開かれていた 概説) / 松川町/果樹王国 (松川町は伊那盆地のほぼ中央に位置し、東は伊那山地、西は木曽山脈〔中央アルプス〕に達する・中央を流れる天竜川により東西に段丘が形成される・現在の主要産業は工業と農業で、とくに なし・りんご などの果樹栽培が盛んで「果樹王国」と呼ばれる 概説)
03 · 川の名のもとで一つになった町で、人を減らしながら就業率を保つ
松川町の特徴は、郡をまたいで川の名のもとで一つになった来歴を抱えながら、人口を二〇年で千五百人ほど減らしつつも、就業率を高く保っている点にある。二〇〇〇年の 14,070 人から二〇二〇年の 12,530 人まで、減りは一割ほどだ。伊那谷の段丘の町という位置ゆえ、より大きな都市の働き口や学びの場へ若い世代が流れ、人口減が続いてきた、と読める。六五歳以上の割合が二〇二〇年で 34.5% と上がったことは、その流れの表れだ。
だが、その一方で就業率は二〇二〇年に 66.3% と、この記事の八つの市町村のなかでも指折りに高い。私の見方では、その背後には、天竜川と中央アルプスから流れる川がつくった段丘の上で営まれる果樹の栽培が、よその都市へ通わずとも暮らしを立てられる働き口を、町のなかに厚く作り続けてきた、という事実がある。なしやりんごといった果樹は、人の手を多く要し、その手間が、町のなかの働き口を厚く保ってきた。子育て世帯の割合が二〇二〇年で 23.8% と高めなのも、これと無縁ではない。保育の待機児童は二〇二四年・二〇二五年ともゼロだ。財政力指数 0.38 は、自前の税収では歳出の四割近くを賄う水準だ。人口は一割ほど減り、高齢化は三割半ばに達したが、就業率は指折りに高いまま。減るものと保たれるものがこう分かれるのは、若い世代を都市へ送り出しながらも、段丘の果樹が手のかかる働き口を町のなかに残し続けてきたからだ。
04 · どちらの土地の名でもない、川の名で結ばれた町
松川は、固有の来歴をいくつも抱えている。一つは、別々の郡に属していた二つの村が、郡という古い区分の線を越えて手を結んだ、という出発点だ。もう一つが、いずれの村の名でもなく、双方の地を潤す中央アルプスからの川の名を、町の名に選んだ、という性格だ。そして、その川と天竜川がつくった段丘の上で、なしやりんごといった果樹が育てられ、果樹の地となった。どちらかの土地に偏らない川の名のもとで、二つの村は対等に一つになった。
松川は、どちらの土地の名でもない、川の名で結ばれた町だ。郡をまたいだ合併から、川の名の選択、段丘の果樹、そして人口の減少と高い就業率まで ── 「中央アルプスから流れ下る川がつくった伊那谷中央の段丘」という地理が、郡の線を越えて結ばれた二つの村を対等に結ぶ、川の名という選択を、この町に与えた。秋の段丘では、いまも標高の帯ごとに、なしとりんごが時期をずらして人の手を待つ。その手間が町の働き口を厚くしてきたのだと思えば、二つの村の名を捨てて選ばれた川の名は、ただの折衷ではなく、町の暮らしを潤してきた水そのものを指していたことになる。
出典: 松川町/郡をまたいだ合併と川の名 (1956〔昭和31〕-9-20 下伊那郡大島村と上伊那郡上片桐村が郡をまたいで合併し、中央アルプスから流れる片桐松川より「松川」の名をとって松川町と命名された・1959-4-1 生田村を編入し、同年8-1 高森町の一部を編入して現在の町域となった・大島地区は古くから三州街道の要地で大島宿が、上片桐地区には片桐宿が開かれていた 概説) / 松川町/果樹王国 (松川町は伊那盆地のほぼ中央に位置し、東は伊那山地、西は木曽山脈〔中央アルプス〕に達する・中央を流れる天竜川により東西に段丘が形成される・現在の主要産業は工業と農業で、とくに なし・りんご などの果樹栽培が盛んで「果樹王国」と呼ばれる 概説) / 総務省 国勢調査
05 · Atlas メモ — 人を送り出す力と留める力が、同じ段丘で同時に働く
松川の数字を並べると、二〇年で千五百人ほどの人口減・高齢化率 34.5%・子育て世帯率 23.8%・就業率 66.3%・財政力 0.38 と、郡をまたいで川の名のもとで一つになった果樹の段丘の町の指標が並ぶ。だが私 (Atlas) が会計の目でこの町を見て最も読みたいのは、この町の名の選び方そのものに表れた、合併の「対等さ」への配慮だ。二つの村が一つになるとき、どちらかの名をとれば、もう一方が呑まれた形になる。この町は、それを避けて、どちらの土地のものでもない川の名を選んだ。名は、ただの記号ではない。どちらかの村の名を捨て、双方を潤す川の名を選ぶという判断には、郡の線を越えて手を結んだ二つの村の、対等であろうとする構えが表れている。
もう一つ考えたいのは、この町の就業率の高さが、何に支えられているか、という点だ。私 (Atlas) の見方では、その答えは、二つの村の名を捨てて選ばれた川と、天竜川がつくった段丘の上の果樹の畑にある。果樹は平らな田の稲作よりも人の手を多く要し、その手間が、町のなかの働き口を厚く保ってきた。ここに、この町の二つの顔が向き合っている。人口は二〇年で千五百人ほど減り、高齢化は三割半ばに進んだ ── 若い世代を都市へ送り出す、地方の段丘の町の顔だ。だが就業率は六割六分と、この記事のなかでも指折りに高い ── 手のかかる果樹が働き口を町のなかに残し続けた、もう一つの顔だ。人を送り出す力と、人を留める力が、同じ段丘の上で同時に働いている。二つの村の名を捨てて選ばれた川の名は、折衷の産物ではなく、その両方の顔を潤す水そのものを指していた。
出典: 総務省 国勢調査 / 松川町/郡をまたいだ合併と川の名 (1956〔昭和31〕-9-20 下伊那郡大島村と上伊那郡上片桐村が郡をまたいで合併し、中央アルプスから流れる片桐松川より「松川」の名をとって松川町と命名された・1959-4-1 生田村を編入し、同年8-1 高森町の一部を編入して現在の町域となった・大島地区は古くから三州街道の要地で大島宿が、上片桐地区には片桐宿が開かれていた 概説) / 松川町/果樹王国 (松川町は伊那盆地のほぼ中央に位置し、東は伊那山地、西は木曽山脈〔中央アルプス〕に達する・中央を流れる天竜川により東西に段丘が形成される・現在の主要産業は工業と農業で、とくに なし・りんご などの果樹栽培が盛んで「果樹王国」と呼ばれる 概説)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (Daiki 2026-06-02)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: wave29w_



