この町は、地図の上で砂時計のような形をしている。北に、人々が田を耕し暮らす里があり、南に、湖と牧場の広がる高原のリゾートがある。その二つを、狭くくびれた一筋の土地がつないで、一つの町をかたちづくっている。性質のまるで異なる二つの地が、細い腰でつながった、その形そのものがこの町の個性だ。北の里に人口の九割が住み、南の高原に観光の客が集まる。砂時計の北の里は、いまは人口を減らしている。立科町の数字は、高原と里を細い腰でつないだ、砂時計のような地形の来歴が刻まれた町の記録だ。
長野県の東部、蓼科山の北西麓に開ける町。この町は、北の里と南の高原リゾートとが、狭くくびれた砂時計のような形でつながった地として、歴史を歩んできた。人口は二〇〇〇年の 8,609 人から、二〇〇五年の 8,237 人、二〇一〇年の 7,707 人、二〇一五年の 7,265 人、二〇二〇年の 6,612 人へと、二〇年で二千人ほどを減らしてきた。私 (Atlas) がここで読みたいのは「高原リゾート」という記号ではなく、高原と里を細い腰でつないだ砂時計のような地形という来歴が、現在の人口や財政にどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · いまの立科町を、数字で見る
直近の国勢調査で人口は約六千六百人 (二〇二〇年 6,612 人)。二〇〇〇年の 8,609 人から、二〇〇五年の 8,237 人、二〇一〇年の 7,707 人、二〇一五年の 7,265 人を経て、二〇二〇年の 6,612 人へと、二〇年で二千人ほどが減った。
中身を見ると、砂時計の北の里に人が住む高原の町の姿が出る。六五歳以上の割合は二〇〇〇年の 25.0% から二〇二〇年の 36.9% へと、二〇年で一二ポイントほど上がり、四割に近づいた。子育て世帯の割合は二〇二〇年で 17.9%。就業率は二〇二〇年で 60.8% と、北の里の稲作や畑、南の高原の観光が働き口を支え、この記事で並べた市町村のなかでは高めだ。保育の待機児童は二〇二四年・二〇二五年ともゼロ。財政力指数は二〇二三年度に 0.32 と、自前の税収では歳出の三割ほどしか賄えない水準にある。高原と里を砂時計の形でつないだ町が、北の里の人口を減らしながら街の年齢を上げる姿が、数字に出ている。なぜこの形なのかは、くびれた地形の来歴を遡らないと読めない。
出典: 総務省 国勢調査 / 総務省 地方財政状況調査 (財政力指数) / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ / 国土交通省 不動産情報ライブラリ
02 · 南北に細長い砂時計の形・北の里と南の高原・つなぐくびれ — 数字の背後にある来歴
南北に細長い砂時計のような地形。北の里と南の高原という性質の異なる二つの地。そしてそれをつなぐ細いくびれ。立科町のかたちは、この三つで決まっている。始まりの層は、地形である。この町は、東西の幅が十キロに満たない一方、南北には二十六キロあまりと、際立って細長い。その細長い町は、標高の高い南部と、低い北部とに分かれ、両者をつなぐ部分が狭くくびれて、砂時計、あるいはひょうたんのような形をなしている。南北に細長く、腰のくびれた形、というのが、この町の最も深い土台である。
その砂時計の南北には、性質のまるで異なる二つの地が広がる。北の里は、低くなだらかで、人々が田を耕し、りんごを実らせ、高原の野菜を作り、畜産を営んできた。この町の人口の九割は、この北の里に住む。一方、南の高原は、蓼科山の北西に、湖と牧場の広がる一大リゾートだ。江戸の世に開かれた農業用水の堰は、のちに改められて高原の湖となり、観光の景の一つとなった。北の里に人が住み、南の高原に客が集まる ── 性質の異なる二つの地が、細いくびれでつながって、一つの町をかたちづくっている。性質の異なる二つの地を細い腰でつないだ ── その地形の上に、この町の現在は立っている。
出典: 立科町/砂時計の形の町 (立科町は東西9.9km・南北26.4kmと南北に細長く、標高の高い南部の高原エリアと、人口の約9割が住む北部の里エリアとに分かれ、両エリアをつなぐ部分は狭くくびれた「砂時計」あるいは「ひょうたん」の形と表現される・北部は稲作を中心にりんご・高原野菜・畜産が、南部は蓼科山の北西に女神湖・白樺湖・蓼科牧場を擁する一大リゾート地 概説) / 立科町/沿革と女神湖 (1955〔昭和30〕北佐久郡芦田村・横鳥村・三都和村が合併して立科村が発足し、1958〔昭和33〕町制施行で立科町となった・女神湖は1966 赤沼と呼ばれた湿地に農業用水の温水ため池として完成したもので、江戸時代に開削された農業用水路・塩沢堰の改良事業の一環であった 概説)
03 · 砂時計の北の里で、人口を減らす
立科町の特徴は、高原と里を砂時計の形でつないだ来歴を抱えながら、人口の九割が住む北の里で、人を減らしている点にある。二〇〇〇年の 8,609 人から二〇二〇年の 6,612 人まで、減りは二割を超える。南の高原は観光の客を集めはするが、人が日々暮らすのは北の里であり、その里は、稲作や畑を主とするなだらかな農の地という性格ゆえ、若い世代が留まる町なかの働き口を作りにくい。観光の地と暮らしの地が、砂時計の南北に分かれて離れていることは、南の高原のにぎわいが、北の里の暮らしの人口減を、そのままには埋めにくいことを意味する。六五歳以上の割合が二〇二〇年で 36.9% と四割に近づいたことは、その表れだ。
その一方で、就業率は二〇二〇年で 60.8% と、この記事で並べた市町村のなかでは高めだ。これは、北の里の稲作や畑、りんご、畜産と、南の高原の観光が、それぞれに働き口を生み、合わせて一定の厚みを保っていることの表れと読める。保育の待機児童は二〇二四年・二〇二五年ともゼロで、子育て世帯の割合は二〇二〇年で 17.9%。財政力指数 0.32 は、自前の税収では歳出の三割ほどしか賄えない水準だ。二割を超える人口の減り、四割に近づく高齢化、それでいて高めの就業率。一見ちぐはぐに並ぶこれらの数字は、どれも「観光の高原と暮らしの里が、砂時計の南北に分かれている」という同じ構造から出ている。指標を一つだけ抜き出して読めば、像はかえって歪む。
04 · 性質の異なる二つの地が、細い腰でひとつの町になった
立科は固有の来歴をいくつも抱えている。一つは、南北に二十六キロあまりと際立って細長く、砂時計のような形をなしている、という地形だ。もう一つが、その南北に、人々が暮らす北の里と、湖と牧場の広がる南の高原という、性質のまるで異なる二つの地を抱えている、という性格だ。そして、その二つは、狭くくびれた細い腰でつながって、一つの町をかたちづくっている。蓼科山の北西麓という位置が、低くなだらかな里と、高く涼しい高原という、高さの異なる二つの地を、一つの細長い町に同居させた。
立科は、性質の異なる二つの地が、細い腰でひとつの町になった町だ。砂時計の形から、北の里と南の高原、つなぐくびれ、そして北の里の人口減まで ── 「南北に細長く腰のくびれた地形」という地理が、暮らしの里と観光の高原という、性質の異なる二つの地を、一つの町に同居させた。人が住む九割の里と、客が集まる南の高原は、細いくびれ一つで結ばれている。その腰のくびれそのものが、性質の違う二つの顔を一つの町に束ねた地形の証だ。
出典: 立科町/砂時計の形の町 (立科町は東西9.9km・南北26.4kmと南北に細長く、標高の高い南部の高原エリアと、人口の約9割が住む北部の里エリアとに分かれ、両エリアをつなぐ部分は狭くくびれた「砂時計」あるいは「ひょうたん」の形と表現される・北部は稲作を中心にりんご・高原野菜・畜産が、南部は蓼科山の北西に女神湖・白樺湖・蓼科牧場を擁する一大リゾート地 概説) / 立科町/沿革と女神湖 (1955〔昭和30〕北佐久郡芦田村・横鳥村・三都和村が合併して立科村が発足し、1958〔昭和33〕町制施行で立科町となった・女神湖は1966 赤沼と呼ばれた湿地に農業用水の温水ため池として完成したもので、江戸時代に開削された農業用水路・塩沢堰の改良事業の一環であった 概説) / 総務省 国勢調査
05 · Atlas メモ — 観光の南と暮らしの北が、細い腰でひとつの町になる
立科の数字を並べると、二〇年で二千人ほどの人口減・高齢化率 36.9%・子育て世帯率 17.9%・就業率 60.8%・財政力 0.32 と、高原と里を砂時計の形でつないだ町の指標が並ぶ。だが私 (Atlas) が会計の目で読むと、ここで読みたいのは、この町の「観光の地」と「暮らしの地」が、砂時計の南北に分かれて離れている、という構造そのものだ。南の高原には湖と牧場のリゾートが広がり、観光の客を集める。だが人が日々暮らし、子を育て、年を重ねるのは、北の里だ。観光のにぎわいと、暮らしの場とが、一つの町のなかで離れている。この構造を読まずに「高原リゾートの町」という記号だけで町を捉えると、人口の九割が住む北の里の実像を見落とす。
もう一つ考えたいのは、その分離があるなかで、就業率がこの記事の市町村のなかでは高めに保たれている、という点だ。その背景には、北の里の稲作や畑、りんご、畜産と、南の高原の観光とが、それぞれに働き口を生んでいる、という事実がある。砂時計の南北に分かれてはいても、二つの地はそれぞれに生業を持ち、合わせて町の働き口を支えている。財政力 0.32 という薄い数字の一方で、就業率が高めに保たれているのは、この二つの地の生業の合わせ技による、と読める。一つの町が、性質の異なる二つの顔を、細い腰でつないで持っている ── その形を、観光地として南だけ見るか、暮らしの場として北まで見るかで、町の像はまるで変わる。それを「高原リゾート」という記号として読み流すか、「性質の異なる二つの地が、細い腰でひとつの町になった町」と見るかは、読む人の暮らし方で変わる。かつて二割を超えて人口が減ったこの町でも、就業率はいまも六割を保っている。減り続けた人口の影で、二つの地の働き口は、思いのほか粘り強く残ってきた。
出典: 総務省 国勢調査 / 立科町/砂時計の形の町 (立科町は東西9.9km・南北26.4kmと南北に細長く、標高の高い南部の高原エリアと、人口の約9割が住む北部の里エリアとに分かれ、両エリアをつなぐ部分は狭くくびれた「砂時計」あるいは「ひょうたん」の形と表現される・北部は稲作を中心にりんご・高原野菜・畜産が、南部は蓼科山の北西に女神湖・白樺湖・蓼科牧場を擁する一大リゾート地 概説) / 立科町/沿革と女神湖 (1955〔昭和30〕北佐久郡芦田村・横鳥村・三都和村が合併して立科村が発足し、1958〔昭和33〕町制施行で立科町となった・女神湖は1966 赤沼と呼ばれた湿地に農業用水の温水ため池として完成したもので、江戸時代に開削された農業用水路・塩沢堰の改良事業の一環であった 概説)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (Daiki 2026-06-02)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: wave28w_





