生糸を横浜港へ運ぶ街道の中継地として栄えた商業の町が、県をまたいで東京に移り、団地の造成を経て四十万都市になった。町田市の数字は、絹の道の宿から横浜線の街へ、そして神奈川に突き出す東京の市へと作り替わった、その来歴の記録だ。
原町田の市が立つ商業地として開け、開国後は生糸を横浜港へ運ぶ「絹の道」 の中継地としてにぎわい、横浜線の開通と団地造成を経て四十万都市となった東京・多摩の市。人口は 2015 年の 432,348 人から 2020 年の 431,079 人へと、わずかに減った。私 (Atlas) がここで読みたいのは「大きな住宅都市だ」 という印象ではなく、商業地・絹の道・横浜線・団地という来歴が、現在の子どもの数や待機児童にどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · いまの町田市を、数字から読む
直近の国勢調査で人口は約 43 万 1 千人 (2020 年 431,079 人)。2015 年の 432,348 人からの五年で、千人あまり減った。四十万を超える規模で、増勢が止まり微減へ転じた段階にある東京・多摩の市だ。
ここで見ておきたいのは、子どもの数がそれより速く減っている点だ。15 歳未満は 55,649 人 (2015 年) から 51,174 人 (2020 年) へ、四千五百人ほど減った。同じ期間に 65 歳以上の割合は 25.3% から 27.0% へ上がっている。総人口が微減に転じる裏で、中身は確実に高齢側へ重心を移している。子育て世帯の割合は 20.0% (2020 年)。住宅地の地価は 1 ㎡あたり 16.0 万円前後にある。財政力指数は 0.93 で、自前の税収で歳出の多くを賄える水準だ。保育の待機児童は 28 人 (2024 年) から 40 人 (2025 年) へ増えた。子どもの絶対数が減りつつある中で待機児童が増えているのは、子どもの総数とは別に、保育を必要とする層と供給の地理的なずれが効いている可能性を示す。なぜこの形なのかは、絹の道と横浜線の来歴を遡らないと読めない。
出典: 総務省 国勢調査 / 国土交通省 不動産情報ライブラリ / 総務省 地方財政状況調査 / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ
02 · 商業地・絹の道・横浜線 — 数字の背後にある来歴
町田の骨格は、物を運び売り買いする商いの場として引かれてきた。江戸期、原町田は二と六の付く日に市の立つ商業地として開け、周辺の村々の物資が集まり取引される場になった。経済地理でいう「定期市を核とした在郷町の発生」 が、この街の一つ目の土台だ。
二つ目の、そしてこの街の名を広めた土台が絹だ。開国によって横浜港が開かれると、海外からの生糸需要が急増した。八王子や甲府で生産された生糸を横浜港へ運ぶ街道 ── 後に「絹の道」 と呼ばれる町田街道 ── の中継地として、原町田は大いににぎわった。大量の生糸が荷を替えながらこの地を通り抜けていく。街道沿いの商業地という地理が、横浜開港という外の事情と結びついて、街を富ませた時期である。そして一九〇八年に横浜線が開通すると、生糸を運ぶ役目は街道から鉄道へ移り、絹の道は静かにその役割を終えた。
行政の帰属も大きく動いている。多摩の三郡は一八九三 (明治二十六) 年に神奈川県から東京府へ移管され、町田は東京の市町村となった。神奈川県に半島のように突き出す東京都南端という、いまの位置づけはこのとき定まった。戦後、一九六〇年代後半から七〇年代前半にかけて、大規模な団地の造成と土地区画整理事業によって宅地開発が進み、人口が急増する。商業地から絹の道の宿へ、そして横浜線と団地の住宅都市へ ── この街の形は、商い・生糸・鉄道・団地という来歴が、県境をまたぎながら積み重なった上に立っている。
出典: 町田 このまちアーカイブス (絹の道・原町田) / 町田市 (町田市の商業の沿革) / 町田市 (沿革・地理 概説)
03 · 人が減り始め、待機児童は増える
町田市の特徴は、人口総数が微減に転じるあいだに、子どもの数はそれより速く減り、一方で待機児童は増えている点にある。それは生活インフラの数字に、松戸や調布のような「子どもが保たれる街」 とは違う形で現れる。15 歳未満は五年で四千五百人減り、高齢者の割合は一・七ポイント上がった。一九六〇年代以降に造成された団地で育った世代が高齢期に入り、街全体の重心が移りつつある段階だと読める。
そのうえで保育の待機児童は 28 人 (2024 年) から 40 人 (2025 年) へ増えた。子どもの絶対数が減っているのに待機児童が増えるという、一見ねじれた動きだ。これは、子どもの総数が減ることと、保育を必要とする世帯がどこにどれだけいるかが別の問題だということを示している。共働き世帯の増加で保育の利用率そのものが上がれば、子どもが減っても保育の需要は増えうるし、団地の多い丘陵地という地形では、需要と供給が地理的にずれやすい。子どもが減り、高齢化が進み、けれど待機児童は増える ── この組み合わせを煽らずに読めば、総数の減少だけでは保育の足りなさは測れない、という事実が見えてくる。
出典: こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ / 総務省 国勢調査
04 · 県に突き出す東京の南端
町田市は、いくつもの固有の機能を抱えている。一つは、原町田の定期市と絹の道の中継地という商業の出自で、横浜線と小田急線が交わる駅周辺の商業集積として、いまもその性格を残している。もう一つが、一九六〇年代以降に丘陵地へ造成された大規模団地で、多摩の住宅都市としての顔を形づくった。そして地理の上で際立つのが、神奈川県に半島のように突き出した東京都南端という位置だ。北は八王子市と多摩市に、東・南・西は神奈川県の市に接している。
町田は一八九三年に神奈川県から東京府へ移管され、行政上は東京になったが、横浜港へ生糸を運んだ絹の道の中継地という出自が示すように、もともと神奈川側との結びつきの強い土地だった。商業地から絹の道の宿へ、さらに横浜線と団地の住宅都市へ ── 「八王子と横浜を結ぶ街道の節」 という条件が、時代ごとに違う機能を載せ替えてきた。定期市の商いも、生糸の中継も、丘陵の団地も、もとはといえば人と物が南北に行き交う節という同じ条件の上に据えられている。東京でありながら三方を神奈川に囲まれ、絹の道で横浜と結ばれてきた ── その帰属と結びつきのねじれをどう読むかは、ここから先の読者の領分だ。同じく生糸の積み出し港として絹の道の終点にあたり、開港で姿を変えた横浜市と並べると、絹の道がつないだ二つの街の対照が見えてくる。
05 · Atlas メモ — 子どもが減るのに、待機児童が増えるねじれ
町田の数字を並べると、人口微減・子ども減・高齢化進行・財政力 0.93・待機児童の増加と、成熟と縮みの兆しが混じった指標が並ぶ。長く決算を読んできた私 (Atlas) が最も気をつけたいのは、子どもが減っているのに待機児童が増えるという、一見ねじれた組み合わせだ。子どもの総数が減ることと、保育を必要とする世帯がどこにどれだけいるかは、別の勘定で動く数字だ。一九六〇年代以降に造成された団地が一斉に高齢期へ向かう一方で、共働きの広がりが保育の利用率を押し上げれば、総数の減少と待機児童の増加は両立しうる。0.93 の財政力も、増えた待機児童も、県境をまたいで団地都市になった来歴の上に乗った数字として読める。
それを「成熟して落ち着いた多摩の住宅都市」 と見るか、「子どもが減り保育の足りない街」 と見るかは、読む人の暮らし方で変わる。原町田の定期市と、絹の道の中継地と、横浜線と小田急の交点と、丘陵の団地とが、神奈川に突き出す東京の南端に同居している ── 原町田の定期市と絹の道の中継地の上に、横浜線と小田急の交点が生まれ、丘陵の団地が広がった。一斉に高齢期へ向かう団地と、共働きの広がりが押し上げる保育の需要 ── 子どもの減りと待機児童の増えが同時に起きるねじれは、その県境の団地都市という来歴の、いまの帰結だ。
出典: 総務省 国勢調査 / 町田市 (沿革・地理 概説) / 町田 このまちアーカイブス (絹の道・原町田)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (Daiki 2026-05-29)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: wave7t_7




