この港町の名物は、駅で売る一折の弁当だ。烏賊の胴に米を詰めて炊いたその飯は、東京の百貨店が開く全国の駅弁の品評会で、長年 一位を保ち続けてきた。北海道の小さな港町の弁当が、全国の頂点に立つ ── そのことの背後には、二つの町が一つになった合併と、噴火湾の港町の来歴がある。烏賊の飯が全国一になった経緯を知らずに、この町の数字は読めない。森町の数字は、二つの町が一つになり烏賊の飯が全国一になった来歴が刻まれた町の記録だ。
北海道の渡島半島、内浦湾に面し活火山の西に開ける港町。古くからの森町と、東隣の砂原町とが、平成の世に新設の合併で一つになった。この町の駅で売られる、烏賊の胴に米を詰めて炊いた弁当は、全国の駅弁の品評会で長年トップクラスの人気を誇る。人口は合併を含む二〇〇五年の 19,149 人から二〇二〇年の 14,338 人へと減ってきた。私 (Atlas) がここで読みたいのは「いかめしの町」という記号ではなく、二つの町の合併と噴火湾の港町という来歴が、現在の人口にどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · いまの森町を、数字で見る
直近の国勢調査で人口は約一万四千人 (二〇二〇年 14,338 人)。二つの町が合併した二〇〇五年の 19,149 人から、二〇一〇年の 17,859 人、二〇二〇年の 14,338 人へと減ってきた。六五歳以上の割合は二〇〇五年の 25.7% から二〇二〇年の 38.6% へと上がった。噴火湾の港町として、合併後の減少と高齢化が進んでいる。
住宅地の公示地価は一㎡あたり九千八百円ほど、商業地は一万八千円台だ。財政力指数は二〇二三年度に 0.30 で、自前の税収では歳出の三割ほどを賄う。小学校は二〇二三年で八校と、合併で広くなった町域を反映してなお多い。これらの数字が、なぜこの町に揃うのかは、二つの町の合併と噴火湾の港町という来歴を遡らないと読めない。
02 · 噴火湾の港町・二つの町の合併・全国一になった烏賊の飯 — 数字の背後にある来歴
森を据えているのは、内浦湾に面した港町という性格と、二つの町が一つになった合併、そして駅で売る弁当が全国一になった来歴だ。始まりの層は、港である。活火山の西、内浦湾に面したこの地は、海の幸を水揚げする港町として歩んできた。鉄道が通ると、この町の駅は、活火山と湾を望む路線の拠点のひとつとなった。古い歴史の中では、幕末、旧幕府の軍勢がこの町の海辺に上陸し、北海道の戦の発端となった地でもある。
その港町に、二十世紀、一折の弁当が生まれる。烏賊の胴に米を詰めて炊いたその飯は、駅で売られ、やがて東京の百貨店が開く全国の駅弁の品評会で、長年 一位を保つほどの人気を得た。北海道の小さな港町の駅弁が、全国の頂点に立ったのだ。そして平成の世、この古い森町と、東隣の砂原町とが、新設の合併で一つになった。二つの港町が一つになり、町域は内浦湾沿いに広がった。内浦湾の港町が、合併で一つになり、駅の弁当を全国の頂点へ押し上げた ── 森の現在は、その来歴の上に立っている。
出典: 森町 (北海道) 沿革 (2005〔平成17〕旧森町と砂原町の新設合併・内浦湾に面し駒ヶ岳の西・1868 榎本武揚らが鷲ノ木に上陸し箱館戦争の発端となった地 概説) / いかめし阿部商店・森駅 (森駅の駅弁「いかめし」は1941〔昭和16〕阿部商店が考案し、全国の有名駅弁大会で長年トップクラスの人気を誇る 概説)
03 · 二つの町が一つになった町域は、小学校の数に残る
二つの港町が合併して広くなったこの町では、生活インフラの分布に、その来歴が残る。森町の小学校は二〇二三年で八校 ── 人口一万四千人ほどの町としては多い ── を保っている。これは、合併で内浦湾沿いに長く広がった町域に、もとの二つの町それぞれの集落が点在し、それぞれに学校が必要とされてきたことの表れと読める。町域の広さが、学校の数を多めに保たせている、ということだ。
ただし、児童数は減り続けている。二〇〇五年に合併で 1,042 人だった児童数は、二〇二三年には 516 人へと半減した。保育の利用定員は二〇二四年の 160 人から二〇二五年の 150 人へと減らされ、待機児童は両年ともゼロだ。子育て世帯の割合は二〇二〇年で 15.9%。広い町域ゆえに学校の数は多めに保たれているが、一校あたりの子の数は細っている。合併で広くなった町域という構造と、子の数の減少という流れとが、この町の学校の数の背後で同時に動いている。
出典: 文部科学省 学校基本調査 (e-Stat 社会・人口統計体系) / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ / 総務省 国勢調査
04 · 二つの港町が一つになり、駅弁を全国一にした町
森には、二つの来歴が重なっている。一つは、内浦湾に面した港町であり、駅で売る烏賊の飯が全国の駅弁の頂点に立った、という性格だ。もう一つが、古い森町と東隣の砂原町とが、新設の合併で一つになり、町域が内浦湾沿いに長く広がった、という出発点だ。噴火湾の港という地形と、二つの町が一つになった合併とが、この町に広い町域と全国に知られた名物を与えている。
活火山の西という位置は、豊かな海と土をもたらすと同時に、活きた火山の麓という性格をも町に与える。内浦湾の港町は、海と火山の双方と隣り合っている。二つの港町が一つになって駅弁を全国一にした町は、いま活火山の西の海辺で人口を減らしている。
出典: 森町 (北海道) 沿革 (2005〔平成17〕旧森町と砂原町の新設合併・内浦湾に面し駒ヶ岳の西・1868 榎本武揚らが鷲ノ木に上陸し箱館戦争の発端となった地 概説) / いかめし阿部商店・森駅 (森駅の駅弁「いかめし」は1941〔昭和16〕阿部商店が考案し、全国の有名駅弁大会で長年トップクラスの人気を誇る 概説)
05 · Atlas メモ — 烏賊の飯が全国一でも、八つの学校は合併の日に決まっていた
私 (Atlas) が公認会計士として小さな数字の裏の強さを探る癖で言えば、森の数字でまず読みたいのは、この小さな港町の駅で売る一折の弁当が「全国の駅弁の品評会で長年 一位を保ってきた」という来歴だ。烏賊の胴に米を詰めて炊いただけの、素朴な飯だ。それが、全国の名だたる駅弁を抑えて頂点に立ち続けた。合併後に減ってきた人口・高齢化率 38.6%・地価九千八百円・財政力 0.30 と、噴火湾の港町らしい指標が並ぶこの町に、全国の頂点に立つ名物がある。地方の小さな港町が、規模の大きさではなく、一つの突き抜けた質で全国に名を轟かせる ── その実例が、この町にある。
もう一つ考えたいのは、小学校が八校という、人口一万四千人ほどの町としては多めの数だ。私の見方では、この多さは、二つの港町が合併して町域が内浦湾沿いに長く広がったことの帰結だ。広い町域に、もとの二つの町それぞれの集落が点在し、それぞれに学校が要る。同じ「学校が多い」でも、その背後には、合併で広くなった町域という構造がある。烏賊の飯が全国一に立ち続けても、内浦湾沿いに長く伸びた町域に八つの小学校が点在するという形は、二つの港町が一つになった日に、すでに決まっていた。
出典: 総務省 国勢調査 / 森町 (北海道) 沿革 (2005〔平成17〕旧森町と砂原町の新設合併・内浦湾に面し駒ヶ岳の西・1868 榎本武揚らが鷲ノ木に上陸し箱館戦争の発端となった地 概説) / いかめし阿部商店・森駅 (森駅の駅弁「いかめし」は1941〔昭和16〕阿部商店が考案し、全国の有名駅弁大会で長年トップクラスの人気を誇る 概説)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (wave29-east 2026-06-04)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: w29e_1af
