日本が最初に世界へ開いた三つの港の一つが、いま五年で一万五千人を失っている。函館市の数字は、開港で外へ向かった港町が、船の航路を失い、山と歴史を観光へ載せ替えてきた来歴の記録だ。
一八五九年に横浜・長崎とともに日本最初の国際貿易港の一つとして開かれ、北洋漁業の基地として、本州と北海道を結ぶ結節点として発展した渡島半島南端の港町。人口は 2015 年の 265,979 人から 2020 年の 251,084 人へ、五年で一万五千人近く減った。私 (Atlas) がここで読みたいのは「観光の街だ」 という印象ではなく、開港・漁業・連絡船という来歴が、現在の人口減や高齢化にどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · 開港の港町・函館市を、数字でたどる
直近の国勢調査で人口は約 25 万 1 千人 (2020 年 251,084 人)。2015 年の 265,979 人からの五年で、一万五千人近く減った。五年でこの幅の減少は、速い部類に入る。
子どもの数の減りは、さらに目立つ。15 歳未満は 27,131 人 (2015 年) から 23,560 人 (2020 年) へ、三千五百人あまり減った。同じ五年で 65 歳以上の割合は 32.3% から 35.5% へ上がり、三人に一人を超えた。総人口が減り、子どもが減り、高齢者の割合が上がる ── 三つの流れがそろって同じ向きに進んでいる。子育て世帯の割合は 14.8% (2020 年) と、後で見る佐世保や下関より低い。住宅地の地価は 1 ㎡あたり 3.9 万円前後 (38,550 円、2026 年) にある。財政力指数は 0.48 (2023 年) で、標準的な歳出の半分以下を自前の税収で賄い、残りを地方交付税などで補う構造だ。保育の待機児童は 0 人 (2025 年)。ここで見ておきたいのは、子どもが三千五百人減るなかでの待機児童ゼロが、需要側の縮小という側面を含む点だ。なぜこの形なのかは、開港と漁業と連絡船の来歴を遡らないと読めない。
出典: 総務省 国勢調査 / 国土交通省 不動産情報ライブラリ / 総務省 地方財政状況調査 / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ
02 · 開港・北洋漁業・連絡船 — 数字の背後にある来歴
函館の骨格は、日本が外へ向かって開いた最初の窓の一つだったという来歴だ。渡島半島の南端、津軽海峡に面したこの港町は、旧称を箱館といい、一八五九年に日米修好通商条約に伴って横浜・長崎とともに日本最初の国際貿易港の一つとして開かれた。西部地区には外国人の居留地が設けられ、領事館や教会が建ち並び、和洋折衷の街並みが形づくられていく。経済地理でいう「開港地に外との交易が集積する」 という型の、早い実例だ。一八六四年には日本初の洋式築造城郭・五稜郭が築かれ、戊辰戦争最後の戦い (箱館戦争) の舞台にもなった。
近代の函館を支えた二つ目の土台が、海そのものだった。港は北洋漁業の基地として栄え、本州と北海道を結ぶ結節点となる。一九〇八年には青函連絡船が就航し、人と貨物と鉄道車両を津軽海峡の対岸へ運び続けた。漁業と連絡船という二本の柱が、港町の人口を支えていく。人口は一九八〇年に約三十四万五千人のピークに達する。
だが、その二本の柱はどちらも役目を終えていく。北洋漁業は規制と資源環境の変化で衰退し、一九八八年には青函トンネルが開通して海峡線が開業、八十年の歴史を持つ青函連絡船が廃止された。海を渡る船の結節点という機能が、海の下を抜けるトンネルへ移ったということだ。函館は工業都市への転換を試みた時期を経て、函館山の自然と開港以来の歴史的な街並みを観光へ載せ替えていく。一九六四年開業の五稜郭タワーは、その象徴の一つだ。外へ開いた港、海に依った漁業と連絡船、そして観光へ ── この街の現在は、海という同じ条件が機能を載せ替え続けた帰結として立っている。
出典: 国土交通省 北海道開発局 (日本最初の国際貿易港―函館港) / 函館市 (五稜郭の概要) / 青函連絡船 (沿革) / 函館市 (沿革・地理 概説)
03 · 柱を失った街の、生活の数字
函館市の特徴は、人口を支えてきた漁業と連絡船という二本の柱が役目を終えたあとの、人口と子どもの減り方の速さにある。五年で一万五千人、そのうち子どもが三千五百人あまり減った。一九八〇年に約三十四万五千人だったピークから、二〇二〇年の二十五万人へという長い減少の、その途中の五年だ。
保育の待機児童は 0 人になっている。だがこれも、下関と同じく注意して読む数字だ。子どもが三千五百人減るなかでのゼロは、保育の供給を需要が下回ったことの裏返しでもある。子育て世帯の割合 14.8% は、同規模の他都市と比べても低めで、若い世帯の層がすでに薄くなっていることをうかがわせる。財政力指数 0.48 は、標準的な歳出の半分以下しか自前の税収で賄えない構造を示すが、これは漁業と連絡船という基幹が縮んだ港町に広く見られる、地方財政の標準的な姿だ。評価語をはさむ余地はない。ピーク時の人口規模を市域として抱えたまま、中身だけが高齢側へ大きく傾いていく ── 函館の生活インフラの数字は、その移行の途中の一コマとして読める。待機児童ゼロという一行は、子育て世帯が薄くなった末のゼロでもあって、子どもが増える街のゼロとは正反対の経路でそこに着いている。
出典: こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ / 総務省 国勢調査 / 総務省 地方財政状況調査
04 · 海へ開かれた岬が、機能を載せ替えてきた
函館が抱える機能は、海へ開かれた一つの岬の上で、時代ごとに入れ替わってきた。一つは、開港以来の西部地区の歴史的な街並みで、外国人居留地として築かれた領事館や教会、和洋折衷の建物が残り、函館山の眺望とあわせて観光の核になっている。もう一つが、日本初の洋式城郭・五稜郭で、箱館戦争の舞台となった星形の堀が特別史跡として保存され、隣接する五稜郭タワーがその全形を見せる。さらに、津軽海峡に面した港は北洋漁業の基地として、そして青函連絡船の発着点として、本州と北海道の結節点を長く担ってきた。
外へ開いた最初の港から、漁業と連絡船の基地へ、さらに山と歴史を載せた観光都市へ。開港地の街並みも、漁業と連絡船の港も、観光の景観も、もとはといえば津軽海峡に向かって開かれた同じ岬の上にある。海へ開かれたという立地が次々に機能を呼び込み、そのいくつかが役目を終えてきた ── 函館の現在は、その出入りの帳尻として立っている。
出典: 函館市 (沿革・地理 概説) / 函館市 (五稜郭の概要)
05 · ピークの市域に、縮んだ中身が残る
函館の数字を並べると、五年で一万五千人減・子ども減・高齢化率 35% 超・財政力 0.48・待機児童ゼロと、基幹産業が縮んだ後の地方都市の指標がそろって並ぶ。だが私 (Atlas) が会計の目で束ね直すと、これらは別々の出来事ではなく、漁業と連絡船という二本の柱が役目を終えたという一つの来歴から枝分かれした結果として読める。海に依った人口規模を市域に抱えたまま、その海が運んでいた機能が縮めば、人口は減り、子育て世帯は薄くなり、自前の税収で歳出を賄う力も下がる。待機児童ゼロも、子育て世帯率 14.8% という薄さの裏返しという側面を含む。高い指標も低い指標も、一つの海の来歴の別々の現れだ。
時間の幅を置いて眺めると、この街の数字の意味はさらにはっきりする。一九〇八年に青函連絡船が就航し、一九八〇年に三十四万五千人へ達するまでの七十年あまり、函館は海が運ぶ人と物で太り続けた。そして一九八八年に青函トンネルが開通して連絡船が消えてから、二〇二〇年の二十五万人へ縮むまでの三十年あまり、海が運んでいた機能の喪失を人口で払い続けている。同じ津軽海峡が、前半世紀には街を膨らませ、後半世紀には街をしぼませた。いま市域に残る学校や港や街並みは、膨らんだ時代に合わせて造られたものが多く、しぼんだ時代の人口がそれを使っている。一八五九年の開港でこの岬に開いた海への扉は、いまも開いたままだ。ただ、その扉から入ってくるものが、船から観光客へ入れ替わった ── その差し引きが、現在の数字に出ている。
出典: 総務省 国勢調査 / 函館市 (沿革・地理 概説) / 国土交通省 北海道開発局 (日本最初の国際貿易港―函館港)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (Daiki 2026-05-29)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: wave7an_



