いま日本中の食卓にある西洋林檎は、この町から始まった。明治のはじめ、海の向こうから来た一人の外国人が、函館の隣のこの地で洋種の作物を植え、西洋式の農法を持ち込んだ。林檎も、その時この地に根づいた。日本の近代農業の出発点のひとつが、この近郊の町にある。西洋の農がこの地で始まった経緯を知らずに、この町が人口を保ってきた数字は読めない。七飯町の数字は、日本で初めて西洋林檎が根づいた函館近郊という来歴が刻まれた町の記録だ。
北海道の渡島半島南部、函館市の北隣 ── 中心まで約十六キロの近郊にある町。明治のはじめ、海の向こうから来た技師が洋種の作物を植え、日本の西洋式農法・近代農業の出発点のひとつとなり、日本で初めて西洋林檎が栽培された地とされる。北には活火山と大きな沼を擁する国定公園を抱える。函館への通勤圏という位置に支えられ、人口は二〇〇〇年の 28,354 人から二〇二〇年の 27,686 人へと、二〇年でほとんど減らずに保たれてきた。私 (Atlas) がここで読みたいのは「林檎発祥の地」という記号ではなく、西洋の農の発祥と函館近郊という来歴が、現在の人口や地価にどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · いまの七飯町を、数字で見る
直近の国勢調査で人口は約二万八千人 (二〇二〇年 27,686 人)。二〇〇〇年の 28,354 人から二〇年でほとんど減っておらず、道内の地方の町としては珍しく人口を保っている。六五歳以上の割合は二〇二〇年で 35.1% だが、子育て世帯の割合は二〇二〇年で 20.0% と高めだ。
住宅地の公示地価は一㎡あたり三万五千円ほど、商業地は五万円台と、近郊の町として高い部類にある。財政力指数は二〇二三年度に 0.45 で、本バッチの渡島の町のなかでは最も高く、自前の税収で歳出の半分近くを賄う。医師は二〇二二年で 41 人、診療所も多い。これらの「保たれている・体力がある」数字が、なぜこの町に揃うのかは、西洋の農の発祥と函館近郊という来歴を遡らないと読めない。
02 · 函館の北隣・西洋の農の発祥・大沼と駒ヶ岳 — 数字の背後にある来歴
七飯を据えているのは、函館の北隣という位置と、日本の西洋式農法がここで始まったという来歴、そして活火山と大きな沼を擁する自然だ。始まりの層は、西洋の農である。明治のはじめ、海の向こうから来た一人の技師が、この地で洋種の作物を植えた。林檎、葡萄をはじめとする多くの西洋の作物が、ここで日本に紹介された。日本の西洋式農法・近代農業の出発点のひとつが、この地に置かれたのだ。とりわけ西洋林檎は、日本で初めてこの地で栽培されたとされる。果樹と野菜を産する豊かな農の地が、こうして形づくられた。
その農の地は、函館の北隣 ── 中心まで約十六キロという近郊の位置にあった。この位置が、町に二つ目の性格を与える。函館へ通える距離にありながら、果樹と野菜の畑が広がり、北には活火山と大きな沼を擁する国定公園がある。都市の隣でありながら、農と自然を併せ持つ。西洋の農が日本で初めて根づいた地が、函館近郊という位置を得て、農と暮らしの双方を抱えた ── 七飯の現在は、その二つの性格の上に立っている。
出典: 西洋りんご発祥の地 (1869〔明治2〕プロイセン人 R. ガルトネルが七重〔現 七飯町〕で洋種農作物を栽培したことが日本の西洋式農法・近代農業発祥となり、日本で初めて西洋りんごが栽培された地とされる 概説) / 七飯町 (函館市の北隣・約16km・大沼国定公園〔活火山 駒ヶ岳と大沼〕を擁し、函館近郊の農村として人口を保つ 概説)
03 · 人口が保たれる町では、子育て世帯の割合も高めに残る
人口をほとんど減らさずに保ってきたこの町では、暮らしの指標も、減少が続く町とは違う動きを見せる。子育て世帯の割合は二〇二〇年で 20.0% と、本バッチの渡島の町のなかでは際立って高い。これは、函館へ通える距離に住む場があり、町に果樹と野菜の農があるという二重の引力が、子育て期の世帯をこの町に留めてきたことの表れと読める。
保育の利用定員は二〇二四年の 429 人から二〇二五年の 518 人へと大きく増やされ、待機児童は両年ともゼロだ。多くの小さな町が定員を減らすなかで、この町は需要に合わせて定員を増やしている。これは、子の数が細って定員に余裕が生まれた結果のゼロではなく、増える需要に整備を合わせ続けた結果としてのゼロだ。医師 41 人という医療の厚みも、人口を保つ近郊の町としての体力を映す。同じ「待機児童ゼロ」でも、その背景が需要の縮小なのか、需要に追いつく整備なのかで、町の実像はまるで違う。七飯の数字は、後者の側にある。
出典: 総務省 国勢調査 / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ
04 · 西洋の農の発祥が、函館近郊の住む場になった町
七飯には、二つの来歴が重なっている。一つは、日本の西洋式農法・近代農業の出発点のひとつであり、日本で初めて西洋林檎が栽培された地である、という出発点だ。もう一つが、函館の北隣 ── 中心まで約十六キロという近郊の位置にあり、活火山と大きな沼を擁する国定公園を抱える、という性格だ。西洋の農の発祥という古い層と、函館近郊という位置とが、この町に農と暮らしの双方を与えている。
ただし、この町の人口を保つ力は、函館という大きな都市に隣り合っているという位置に強く依存している。函館へ通える近郊であることが、住む場としての需要を生み、その需要が地価や子育て世帯の割合を支えている。西洋の農が日本で初めて根づいた地は、いま函館へ通う人々の住む場として、農と暮らしを併せ持っている。
出典: 西洋りんご発祥の地 (1869〔明治2〕プロイセン人 R. ガルトネルが七重〔現 七飯町〕で洋種農作物を栽培したことが日本の西洋式農法・近代農業発祥となり、日本で初めて西洋りんごが栽培された地とされる 概説) / 七飯町 (函館市の北隣・約16km・大沼国定公園〔活火山 駒ヶ岳と大沼〕を擁し、函館近郊の農村として人口を保つ 概説)
05 · Atlas メモ — 西洋林檎の物語より、函館まで十六キロが支える
七飯の数字を並べると、ほとんど減らない人口・高齢化率 35.1%・子育て世帯率 20.0%・地価三万五千円・財政力 0.45 と、本バッチの渡島の町のなかでは際立って「保たれている・体力がある」指標が揃う。だが私 (Atlas) が公認会計士として収益の源を切り分ける癖で言えば、ここでまず読みたいのは、この町が「日本の西洋式農法・近代農業の出発点のひとつ」であり「日本で初めて西洋林檎が栽培された地」である、という来歴だ。いま日本中の食卓にある西洋林檎は、明治のはじめ、海の向こうから来た技師が、この函館の隣の地に植えたところから始まった。一つの作物が国中に広がる、その最初の一歩が、この近郊の町に刻まれている。
もう一つ考えたいのは、その人口を保つ力が「西洋の農の発祥」という来歴そのものよりも、「函館の北隣 約十六キロ」という近郊の位置に強く支えられている、という点だ。私の見方では、財政力 0.45 という本バッチで最も高い自前の税源も、子育て世帯率 20.0% の高さも、函館へ通える距離に住む場があるという位置の引力の帰結として読める。発祥の地という誇りと、人口を保つ実力とは、別の根を持つ。発祥の地という誇りと、人口を保つ実力とは、別の根を持つ。いまこの町を支えているのは、西洋林檎が最初に実ったという物語ではなく、函館まで約十六キロという通える距離だ。
出典: 総務省 国勢調査 / 西洋りんご発祥の地 (1869〔明治2〕プロイセン人 R. ガルトネルが七重〔現 七飯町〕で洋種農作物を栽培したことが日本の西洋式農法・近代農業発祥となり、日本で初めて西洋りんごが栽培された地とされる 概説) / 七飯町 (函館市の北隣・約16km・大沼国定公園〔活火山 駒ヶ岳と大沼〕を擁し、函館近郊の農村として人口を保つ 概説)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (wave29-east 2026-06-04)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: w29e_113




