この町の名は、北海道で最も大きな川の名だ。その川が日本海へ注ぐ河口で、かつて鮭が交易の富を生み、明治には年に百万尾を超える鮭が水揚げされた。だがその鮭は乱獲で減り、町は札幌の住宅地となり、やがて川の河口に新しい港を築いた。鮭・住宅・港と、三度 顔を変えた河口の経緯を知らずに、この町の数字は読めない。石狩市の数字は、鮭の河口が住宅地と港に顔を変えた来歴が刻まれた町の記録だ。
北海道で最も大きな川が日本海へ注ぐ河口に開ける市。江戸期は鮭の交易地として、明治は鮭漁の黄金期を迎え、戦後は札幌の住宅地として、そして川の河口に築かれた新しい港を抱える工業・物流の地として、顔を変えながら歩んできた。人口は二〇〇五年の 60,104 人をピークに、二〇二〇年には 56,869 人へと減ってきた。私 (Atlas) がここで読みたいのは「札幌の隣町」という記号ではなく、鮭の河口が住宅地と港へ顔を変えたという来歴が、現在の人口や地価にどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · いまの石狩市を、数字で見る
直近の国勢調査で人口は約五万七千人 (二〇二〇年 56,869 人)。二〇〇〇年の 54,567 人から二〇〇五年の 60,104 人へと一度増え、その後は二〇二〇年の 56,869 人へと減ってきた。六五歳以上の割合は二〇〇〇年の 14.7% から二〇二〇年の 34.1% へと、二〇年で二〇ポイント近く跳ね上がった。札幌の住宅地として早くに人口を集めた町が、その世代がそろって年を重ねた帰結だ。
住宅地の公示地価は一㎡あたり七千百円ほどと、道内の市のなかでも低い水準にある。財政力指数は二〇二三年度に 0.54 で、自前の税収で歳出の半分あまりを賄える。津波の浸水想定区域が市域の 1.28% を占めるのは、川の河口と海辺を抱える地ならではだ。これらの数字が、なぜこの町に揃うのかは、鮭の河口が住宅地と港へ顔を変えた来歴を遡らないと読めない。
02 · 川の河口・鮭の黄金期と乱獲・住宅地と新港 — 数字の背後にある来歴
石狩を据えているのは三つの層だ。北海道で最も大きな川が日本海へ注ぐ河口という地形、そこで栄えた鮭、そして鮭が衰えたのちに重ねた住宅地と港。始まりの層は、鮭である。江戸期、この川の河口には鮭の交易地が置かれ、その交易を請け負った商人は数十隻の持ち船を抱える豪商として知られた。鮭が、この河口に最初の富をもたらした。明治に入ると鮭漁は黄金期を迎え、年に百万尾を超える水揚げを記録した年もあった。
だがその鮭は、乱獲と川の上流の開発によって、明治の後半から減りはじめる。河口の富の源だった鮭が細ると、町は次の顔を探した。一つは、住宅である。札幌の人口が急に増えた戦後、この町は大規模な団地が造成され、札幌に通う人々の住む場となった。もう一つは、港だ。川の河口に新しい港が築かれ、工業団地が造成されて、物と工業の集まる地となった。さらに平成の合併で、海沿いの二つの村を市域に加えた。鮭・住宅・港と、三度 顔を変えてきたのだ。富の源だった鮭を失った河口が、住宅と港という別の富で立ち直る ── 石狩の現在は、その立ち直りの途中に置かれている。
出典: 石狩の鮭漁 (江戸期は松前藩の「石狩場所」で鮭の交易地・明治の黄金期は最高 1872 年 148 万尾の水揚げののち乱獲と上流開発で漁獲が減少 概説) / 石狩湾新港・市の発展 (昭和30年代から札幌の住宅地として団地造成・石狩湾新港の建設と工業団地で発展・2005 厚田村浜益村と合併 概説)
03 · 早くに人を集めた住宅地は、そろって年を重ねる
札幌の住宅地として早くに人口を集めたこの町では、高齢化の指標が独特の急な坂を描く。六五歳以上の割合は二〇〇〇年の 14.7% から二〇二〇年の 34.1% へと、二〇年で二〇ポイント近く上がった。これは、戦後の団地造成で同じ時期に移り住んだ子育て世代が、そろって年を重ねた帰結だ。住宅地としての成り立ちが、住民の年齢の山を一つの世代に集中させ、その山が二〇年でいっせいに高齢者の側へ移った、と読める。
子育ての側を見ると、子育て世帯の割合は二〇二〇年で 21.3% と、道内の市のなかでは高めに保たれている。保育の利用定員は二〇二四年の 1,145 人から二〇二五年の 1,165 人へと増やされ、待機児童は両年ともゼロだ。札幌に通える住宅地という性格は、年を重ねた世代の山を抱えながらも、いまも一定の子育て世帯を引き寄せ続けている。早くに人を集めた住宅地の高齢化と、いまも続く子育て世帯の流入とが、この町では同時に進んでいる。
出典: 総務省 国勢調査 / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ
04 · 鮭の河口が、住宅地と港を重ねた市
石狩には、二つの来歴が重なっている。一つは、北海道で最も大きな川が日本海へ注ぐ河口であり、鮭の交易と漁で富を得た、という出発点だ。もう一つが、その鮭が乱獲で細ったのちに、札幌の住宅地と、川の河口に築かれた港という、二つの新しい顔を重ねた、という性格だ。動かせない河口の地形が、鮭・住宅・港という、時代ごとに異なる富をこの町に与えてきた。
川の河口と海辺を抱えるこの町は、津波の浸水想定区域を市域に含む。港や物流の利点を持つ海辺は、同時に海からの災いとも隣り合っている。鮭の富を失った河口が、住宅と港で立ち直りながら、いまも海と向き合って暮らしている。
出典: 石狩の鮭漁 (江戸期は松前藩の「石狩場所」で鮭の交易地・明治の黄金期は最高 1872 年 148 万尾の水揚げののち乱獲と上流開発で漁獲が減少 概説) / 石狩湾新港・市の発展 (昭和30年代から札幌の住宅地として団地造成・石狩湾新港の建設と工業団地で発展・2005 厚田村浜益村と合併 概説)
05 · Atlas メモ — 鮭・住宅・港と、三度 富の源を入れ替えた河口
石狩の数字を並べると、ピークから減った人口・高齢化率 34.1%・地価七千百円・財政力 0.54 と、札幌の隣の地方都市らしい指標が並ぶ。だが私 (Atlas) が公認会計士として帳簿を読むときの癖で言えば、ここでまず読みたいのは、この町が「鮭・住宅・港」と、三度も富の源を入れ替えてきた、という来歴だ。江戸の鮭の交易、明治の鮭漁の黄金期、それが乱獲で細ると、戦後は札幌の住宅地、そして川の河口の新しい港へ。一つの川の河口という地形が、時代ごとに違う富をこの町に与え、町はそのつど顔を変えてきた。一つの場所の経済は、最初の富のままではなく、何度でも組み替わりうる ── この河口は、その実例だ。
もう一つ考えたいのは、二〇年で二〇ポイント近く跳ねた高齢化率の急な坂だ。私の見方では、この坂の急さは、この町が札幌の住宅地として「同じ時期に、同じ世代を、いっせいに」集めたことの帰結だ。住宅地としての成り立ちは、住民の年齢の山を一つの世代に集中させる。その山が二〇年でそろって高齢者の側へ移ると、高齢化率は急な坂を描く。同じ高齢化でも、その坂の急さは、町がどう人を集めたかを映す。河口に立てば、いまも鮭が遡る川の水と、その背後にひろがる住宅の屋根と、沖へ延びる新港の岸壁が、ひとつの視界に収まる。三度 顔を変えた富の層が、同じ河口の風景に畳まれて、いまも見えている。
出典: 総務省 国勢調査 / 石狩市の歴史 / 石狩の鮭漁 (江戸期は松前藩の「石狩場所」で鮭の交易地・明治の黄金期は最高 1872 年 148 万尾の水揚げののち乱獲と上流開発で漁獲が減少 概説) / 石狩湾新港・市の発展 (昭和30年代から札幌の住宅地として団地造成・石狩湾新港の建設と工業団地で発展・2005 厚田村浜益村と合併 概説)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (wave28-east 2026-06-04)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: w28e_c2f


