この町の谷で、北海道で最初の近代炭鉱が口を開けた。掘り出した石炭を海辺の港まで運ぶために、北海道で最初の鉄道が、この谷を起点に敷かれた。炭鉱と鉄道という、北海道の近代を動かした二つの最初が、ともにこの一つの谷から生まれたのだ。だが石炭の世が去ると、谷の人々は町を離れていった。北海道の鉄道が生まれた谷は、いまは人口を一万を大きく割って減らしている。三笠市の数字は、北海道で最初の炭鉱と最初の鉄道という来歴が刻まれた町の記録だ。
北海道の空知、石狩平野の東の縁の谷に開ける市。この町は、北海道で最初の近代炭鉱が開かれた地として、またその石炭を運ぶために北海道で最初の鉄道が敷かれた起点として、歴史を歩んできた。人口は二〇〇〇年の 13,561 人から、二〇〇五年の 11,927 人、二〇一〇年の 10,221 人、二〇一五年の 9,076 人、二〇二〇年の 8,040 人へと、二〇年で四割あまりを減らしてきた。私 (Atlas) がここで読みたいのは「鉄道発祥」という記号ではなく、北海道で最初の炭鉱と最初の鉄道という来歴が、現在の人口や財政にどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · いまの三笠市を、数字で見る
直近の国勢調査で人口は約八千人 (二〇二〇年 8,040 人)。二〇〇〇年の 13,561 人から、二〇〇五年の 11,927 人、二〇一〇年の 10,221 人、二〇一五年の 9,076 人を経て、二〇二〇年には 8,040 人と、二〇年で四割あまりが減った。炭鉱の世が去った空知の市らしく、その坂は急だ。
中身を見ると、北海道で最初の炭鉱と鉄道が生まれた谷の市の姿が出る。六五歳以上の割合は二〇〇〇年の 34.1% から二〇二〇年の 47.5% へと、二〇年で一三ポイントほど上がり、五割に迫った。子育て世帯の割合は二〇二〇年で 12.4% と低い。就業率は二〇二〇年で 42.6%。保育の待機児童は二〇二四年・二〇二五年ともゼロ。財政力指数は二〇二三年度に 0.19 と、自前の税収では歳出の二割ほどしか賄えず、地方交付税に頼る度合いがきわめて大きい。北海道の近代を動かした二つの最初を生んだ谷の市が、石炭の世とともに人口を四割減らす姿が、数字に出ている。なぜこの形なのかは、炭鉱と鉄道の来歴を遡らないと読めない。
出典: 総務省 国勢調査 / 総務省 地方財政状況調査 (財政力指数) / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ / 国土交通省 不動産情報ライブラリ
02 · 北海道で最初の近代炭鉱・北海道で最初の鉄道・石炭の世の終わり — 数字の背後にある来歴
この町の骨格は、北海道で最初の近代炭鉱という出発点と、その石炭を運ぶために敷かれた北海道で最初の鉄道、そして石炭の世の終わりによって据えられている。始まりの層は、炭鉱である。明治の初め、この谷で良質の石炭が見いだされ、北海道で最初の近代炭鉱が口を開けた。掘り出された石炭を、いかにして道外へ運び出すか ── その問いが、この谷に次の最初をもたらした。
それが、鉄道である。石炭を海辺の港まで運ぶために、海の向こうから招いた技師のもと、北海道で最初の鉄道が、この谷を起点に敷かれた。海辺の町と札幌を結び、やがてこの谷まで全通したその鉄道は、北海道で最初に敷かれた線路であり、産業を運ぶための鉄道としては日本でも初めてのものであった。炭鉱と鉄道という、北海道の近代を動かした二つの最初が、ともにこの一つの谷から生まれた。だが石炭の世は、永くは続かなかった。エネルギーの主役が石炭から別のものへ移るなか、谷の炭鉱は次々と閉じ、石炭を運んだその鉄道もまた、役割を終えて谷から姿を消した。北海道で最初の近代炭鉱、北海道で最初の鉄道、そして石炭の世の終わり。北海道の近代を起こした二つの「最初」が、ともにこの谷から生まれ、そして同じ石炭の世とともに役割を終えた。三笠のいまは、その栄えと退きの両端を、一つの谷に畳み込んだ姿だ。
出典: 三笠市/幌内炭鉱=北海道初の近代炭鉱 (1879〔明治12〕幌内炭鉱が北海道で最初の近代炭鉱として開鉱した・掘り出した石炭を小樽港から道外へ運び出すため鉄道が建設された 概説) / 三笠市/官営幌内鉄道=北海道初の鉄道 (幌内の石炭を運ぶため米国から招いたクロフォード技師のもと官営幌内鉄道が建設され、1880 手宮〔現 小樽〕〜札幌が開通、1882〔明治15〕札幌〜幌内が全通した・これは北海道で最初に敷設された鉄道で、日本では 1872 東京〜横浜、1874 大阪〜神戸に次ぐ3番目、産業鉄道としては日本で初めてであった 概説)
03 · 炭鉱と鉄道の去った谷で、人口を四割あまり減らす
三笠市の特徴は、北海道の近代を動かした炭鉱と鉄道という来歴を抱えながら、人口を二〇年で四割あまり減らしている点にある。二〇〇〇年の 13,561 人から二〇二〇年の 8,040 人まで、減りは四割を超える。石炭という、地の底から掘り出す一つの資源に町の命運を賭けていたために、その石炭の世が去ると、谷の人々は働き口を失い、町を離れていった。石炭を運んだ鉄道もまた役割を終え、谷を外と結ぶ動脈の一つが断たれた。一つの資源に賭けた町が、その資源とともに急な坂で人を失う ── その典型が、この谷に表れている。六五歳以上の割合が二〇二〇年で 47.5% と五割に迫ったことは、その帰結だ。
その一方で、保育の待機児童は二〇二四年・二〇二五年ともゼロで、子育て世帯の割合は二〇二〇年で 12.4% と低い。財政力指数 0.19 は、自前の税収では歳出の二割ほどしか賄えない水準で、地方交付税に頼る度合いのきわめて大きいことを示している。炭鉱の去った谷で、新たな農や食、そして近代の遺産を訪ねる人を呼ぶ生業が町の暮らしを支えてはいるが、石炭の世に築いた厚みには遠く及ばない。炭鉱と鉄道の去った谷の市は、いまは人口を四割あまり減らしながら、街の年齢を大きく上げている。人口の減りは四割を超え、高齢化は五割に迫り、財政の体力は二割ほど。三つの厳しい数字は、いずれも「石炭という一つの資源への賭け」という同根から伸びている。一つの数字を抜き出して眺めるだけでは、谷に起きたことの全体は捉えきれない。
04 · 北海道の近代を起こした二つの最初が、石炭とともに去った
三笠の来歴は、二つの「最初」に集約される。一つは、北海道で最初の近代炭鉱がこの谷で口を開けた、という出発点だ。もう一つが、その石炭を運ぶために、北海道で最初の鉄道がこの谷を起点に敷かれ、産業を運ぶ鉄道としては日本でも初めてのものであった、という性格だ。そして、その炭鉱も鉄道も、石炭の世が去るとともに役割を終え、谷から姿を消した。石炭を蔵した石狩平野東縁の谷という地形が、北海道の近代を動かした二つの最初を、この一つの町に与えた。
つづめて言えば、三笠は北海道の近代を起こした二つの最初が、石炭とともに去った町だ。北海道で最初の近代炭鉱から、北海道で最初の鉄道、そして石炭の世の終わりまで ── そのすべてを「石炭を蔵した空知の谷」という地理が生み、そして奪った。谷が石炭を蔵していたから最初の炭鉱が口を開け、その石炭を運ぶ必要から最初の鉄道が敷かれ、石炭の世が去ると二つの最初はそろって谷から姿を消した。かつてこの国の北の近代を動かした二つの始まりが、いまは人口四割減という数字に置き換わっている。
出典: 三笠市/幌内炭鉱=北海道初の近代炭鉱 (1879〔明治12〕幌内炭鉱が北海道で最初の近代炭鉱として開鉱した・掘り出した石炭を小樽港から道外へ運び出すため鉄道が建設された 概説) / 三笠市/官営幌内鉄道=北海道初の鉄道 (幌内の石炭を運ぶため米国から招いたクロフォード技師のもと官営幌内鉄道が建設され、1880 手宮〔現 小樽〕〜札幌が開通、1882〔明治15〕札幌〜幌内が全通した・これは北海道で最初に敷設された鉄道で、日本では 1872 東京〜横浜、1874 大阪〜神戸に次ぐ3番目、産業鉄道としては日本で初めてであった 概説) / 総務省 国勢調査
05 · Atlas メモ — 最初の炭鉱と最初の鉄道を生んだ谷が、最も急な坂を下る
三笠の数字を並べると、二〇年で四割あまりの人口減・高齢化率 47.5%・子育て世帯率 12.4%・財政力 0.19 と、北海道の近代を起こした谷の市の指標が、いずれも空知の市のなかでもひときわ厳しい水準で並ぶ。だが帳簿で言えば、輝かしい資産と苦しい現状を並べたときの落差にこそ意味がある。私(Atlas)が読みたいのは、この町が「北海道の近代の起点」でありながら、いまもっとも急な坂で人を失っている、という対比そのものだ。北海道で最初の炭鉱と、最初の鉄道。北海道の近代を動かした二つの最初が、ともにこの谷から生まれた。
もう一つ考えたいのは、この町の衰えの根が「石炭という一つの資源への賭け」にあった、という点だ。地の底から掘り出す石炭に町の命運を委ねていたために、その石炭の世が去ると、町は急な坂で人を失った。一つの資源、一つの産業に町の全てを賭けることは、その資源が栄える間は大きな繁栄をもたらすが、世が変わったときの落差を残酷なほど大きくする。財政力指数 0.19 という、二割ほどしか賄えない数字の裏には、その賭けの帰結がある、と読める。栄えた起点であることと、いま栄えていることとは、まるで別の事柄だ。最初の炭鉱と最初の鉄道を生んだ谷が、いま最も急な坂を下っている ── その対比そのものが、三笠の語りどころだ。
出典: 総務省 国勢調査 / 三笠市/幌内炭鉱=北海道初の近代炭鉱 (1879〔明治12〕幌内炭鉱が北海道で最初の近代炭鉱として開鉱した・掘り出した石炭を小樽港から道外へ運び出すため鉄道が建設された 概説) / 三笠市/官営幌内鉄道=北海道初の鉄道 (幌内の石炭を運ぶため米国から招いたクロフォード技師のもと官営幌内鉄道が建設され、1880 手宮〔現 小樽〕〜札幌が開通、1882〔明治15〕札幌〜幌内が全通した・これは北海道で最初に敷設された鉄道で、日本では 1872 東京〜横浜、1874 大阪〜神戸に次ぐ3番目、産業鉄道としては日本で初めてであった 概説)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (Daiki 2026-06-02)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: wave27e_



