この地の城跡は、断崖の上に石垣だけを残して立つ。明治の世に建物は取り壊され、石垣だけが山の上に残った。後の世、この荒れた城を訪れた一人の作曲家が、月の下に立つ石垣から、一つの旋律を着想したと伝わる。城は、北のなだらかな連山と、西のもう一つの大きな山のへりに囲まれた、山あいの地に立つ。山々の懐から、澄んだ水が湧き出す。旧来の市と、隣り合う三つの町、その四つが一つに束ねられて、いまの市が発足した。荒城の月の城下の地であるこの地は、合併で市域を広げながら、人口を減らしてきた。竹田市の数字は、湧水と合併という来歴が刻まれた街の記録だ。
大分県の南西部、なだらかな連山と大きな山のへりに囲まれた山あいに開ける市。この市は二〇〇五年、旧来の市と三つの町が一つに束ねられて発足した。旧来の市の単独では二〇〇〇年に 17,489 人、合併を反映した二〇〇五年は 26,534 人、そこから二〇二〇年の 20,332 人へと推移してきた。私 (Atlas) がここで読みたいのは「県南西の市」 という記号ではなく、湧水と合併という来歴が、現在の人口や財政にどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · いまの竹田市を、数字で見る
直近の国勢調査で人口は約二万人 (二〇二〇年 20,332 人)。この市の人口は、合併で測る範囲が変わったため、注意して読む必要がある。旧来の市の単独では二〇〇〇年に 17,489 人で、二〇〇五年に三つの町を加えて一つの市となった後の人口は 26,534 人へと一度増える。これは人口が実際に増えたのではなく、測る範囲が広がったことによる段差である。その後は二〇一〇年の 24,423 人、二〇一五年の 22,332 人、二〇二〇年の 20,332 人へと減ってきた。
中身を見ると、山あいの城下の市が年齢を大きく上げる姿が出る。六五歳以上の割合は二〇一五年の 44.5% から二〇二〇年の 48.2% へと上がり、五割に近づいた。子育て世帯の割合は二〇二〇年で 13.1%、粗出生率は二〇二〇年で千人あたり 4.7。保育の待機児童は二〇二四年・二〇二五年ともゼロ。財政力指数は二〇二三年度に 0.25 と、自前の税収では歳出の四分の一しか賄えず、地方交付税に頼る度合いの大きい水準にある。荒城の月の城下の地が、合併で市域を広げながら人口を減らし、高齢化を深める姿が数字に出ている。なぜこの形なのかは、山あいの城下と湧水と合併の来歴を遡らないと読めない。
出典: 総務省 国勢調査 / 総務省 地方財政状況調査 (財政力指数) / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ / 国土交通省 不動産情報ライブラリ
02 · 山あいの城下・断崖の城跡・山々の湧水・一市三町の合併 — 数字の背後にある来歴
この街の骨格は、山あいの城下という地形と、断崖の城跡、山々の湧水、そして旧来の市と三つの町の合併によって据えられている。始まりの層は、山あいの城下である。この地は、北のなだらかな連山と、西のもう一つの大きな山のへりに囲まれた、山あいに開ける。山々に囲まれたこの城下の地が、この街の土台であった。
この山あいに、断崖の城が立った。城は断崖の上に築かれ、明治の世に建物は取り壊されて石垣だけが残った。後の世、この荒れた城を訪れた一人の作曲家が、月の下に立つ石垣から一つの旋律を着想したと伝わる。山々の懐からは、澄んだ水が湧き出し、この地の暮らしを潤してきた。市となった道のりも、この街を映す。二〇〇五年、旧来の市と、隣り合う三つの町、その四つは一つに束ねられて、いまの市となった。これにより、市の測る範囲が広がり、人口の統計に段差が生じた。山あいの城下と、断崖の城跡、山々の湧水、そして一市三町の合併 ── この街の形は、山々に囲まれた城下が刻んだ、城と湧水と合併の来歴の上に立っている。
出典: 竹田市/岡城と荒城の月 (旧竹田町は岡藩の城下町で、岡城は作曲家 滝廉太郎が「荒城の月」を着想した地と伝わる 概説) / 竹田市/湧水と山 (九州のほぼ中央、北のくじゅう連山・西の阿蘇外輪山に囲まれ、竹田湧水群を抱える 概説) / 竹田市 (2005-4-1 旧竹田市+直入郡 荻町/久住町/直入町が新設合併で発足・旧竹田市単独は2000=17,489・市域が広がった 概説)
03 · 荒城の月の城下の地で、合併で市域を広げながら人口を減らす
竹田市の特徴は、断崖の城跡という来歴を抱えながら、合併で市域を広げた後、人口を減らしている点にある。二〇〇五年の合併で、市の人口は 26,534 人へと一度増えたが、これは旧来の市に三つの町を加えて測る範囲が広がったことによる段差で、実際に人口が増えたわけではない。その後は二〇一〇年の 24,423 人、二〇一五年の 22,332 人、二〇二〇年の 20,332 人へと減ってきた。山あいの城下のこの地でも、若い世代の多くがより大きな都市の方へ移って、街全体の年齢が大きく上がってきたと読める。六五歳以上の割合が二〇二〇年で 48.2% と五割に近づいたことは、その表れだ。
その一方で、保育の待機児童は二〇二四年・二〇二五年ともゼロで、子育て世帯の割合は二〇二〇年で 13.1%、粗出生率は二〇二〇年で千人あたり 4.7。財政力指数 0.25 は、自前の税収では歳出の四分の一しか賄えない水準で、山あいの城下の地に共通して見られる、地方交付税に頼る度合いの大きさを示している。荒城の月の城下の地は、いまは合併で市域を広げながら人口を減らし、高齢化を深めている。城が取り壊されて荒れた石垣になったことが、かえって一つの旋律を生んだ ── この街には、失われたものが別の形で残る癖がある。人口が合併で一度増えたように見えるのも、城が荒れて旋律になったのも、同じ「見かけと中身がずれる」 という読み方を求めてくる。
04 · 山々に囲まれた城下が、断崖の城跡と湧水を抱えた、という来歴
竹田が抱える機能は、一つではない。北のなだらかな連山と西の大きな山のへりに囲まれた、山あいの城下を持つ。断崖の上に石垣だけを残し、後の世の作曲家が月の下の石垣から旋律を着想したと伝わる城跡を抱える。そして山々の懐からは、澄んだ水が湧き出す。
山あいの城下という地形から、断崖の城跡、山々の湧水、そして一市三町の合併まで ── 「なだらかな連山と大きな山のへりに囲まれた山あい」 という地理が、断崖の城を生み、山々の湧水を抱えてきた。断崖の城跡と湧水が、大分県南西部という同じ一つの場所に折り重なって、いまの竹田の形を据えている。
出典: 竹田市/岡城と荒城の月 (旧竹田町は岡藩の城下町で、岡城は作曲家 滝廉太郎が「荒城の月」を着想した地と伝わる 概説) / 竹田市/湧水と山 (九州のほぼ中央、北のくじゅう連山・西の阿蘇外輪山に囲まれ、竹田湧水群を抱える 概説) / 竹田市 (2005-4-1 旧竹田市+直入郡 荻町/久住町/直入町が新設合併で発足・旧竹田市単独は2000=17,489・市域が広がった 概説)
05 · Atlas メモ — 荒城の月の城下で、失われたものが別の形で残る来歴を読む
竹田の数字を並べると、合併で段差のある人口・高齢化率 48.2%・子育て世帯の割合 13.1%・財政力 0.25 と、山あいの城下の市が年齢を深める指標が並ぶ。まず確かめたいのは、二〇〇五年に人口が増えたように見えるのは、旧来の市に三つの町を加えて測る範囲が広がった段差であって、実際に人が増えたわけではない、という点だ。旧来の市の単独では、二〇〇〇年に 17,489 人だった。合併のあった街の人口は、測る範囲の変化を踏まえないと読み誤る。範囲が変わった年の段差を、人口の増加と取り違えてはならない、というのが、数字を読むときの第一の注意だ。
もう一つ考えたいのは、この街が「明治の世に取り壊されて石垣だけになった荒れた城が、後の世の作曲家に旋律を着想させた」 という来歴を抱えている、という点だ。城そのものは失われたが、その荒れた姿が、かえって一つの旋律を生んだ。失われたものが、別の形で残ることがある。
この街を全国に知らしめた一節の旋律は、立派な天守からではなく、明治に取り壊されて荒れ果てた石垣から生まれた。会計の目で数字を読む私(Atlas)も、人口が「増えた」 ように見えた二〇〇五年の段差を、繁栄の証ではなく測り方の都合として読む ── 始まりは、いつも見栄えのしないところにある。
出典: 総務省 国勢調査 / 竹田市/岡城と荒城の月 (旧竹田町は岡藩の城下町で、岡城は作曲家 滝廉太郎が「荒城の月」を着想した地と伝わる 概説) / 竹田市/湧水と山 (九州のほぼ中央、北のくじゅう連山・西の阿蘇外輪山に囲まれ、竹田湧水群を抱える 概説) / 竹田市 (2005-4-1 旧竹田市+直入郡 荻町/久住町/直入町が新設合併で発足・旧竹田市単独は2000=17,489・市域が広がった 概説)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (wave34-west 2026-06-04)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: wave34w_




