この街には、白い壁と格子の家並みが、いまも一角に残っている。江戸の世、この海辺の地は、遠い土地から技術者を招いて塩を焼き、その塩で得た富で酒を醸して栄えた。塩と酒で富んだ商家の屋敷や寺が、町なかに連なる。平安の世に都の社の荘園であったことから、この地は「安芸の小京都」 とも呼ばれてきた。塩を焼く釜は昭和の半ばに途絶えたが、その富が築いた家並みは、いまも国の選んだ保存の地区として残る。塩と酒で富んだ小京都の地であるこの街は、平成の世の合併に加わらず、単独で歩みながら、人口を減らしてきた。竹原市の数字は、製塩と酒造と町並みという来歴が刻まれた街の記録だ。
広島県の中南部、瀬戸内海に面する地に開ける市。人口は二〇〇〇年の 31,935 人から二〇二〇年の 23,993 人へと、減ってきた。この市は平成の合併を経ず、単独で歩んできたため、近年の人口の推移に合併由来の段差はない。私 (Atlas) がここで読みたいのは「県中南部の市」 という記号ではなく、製塩と酒造と町並みという来歴が、現在の人口や財政にどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · いまの竹原市を、数字で見る
二〇二〇年の国勢調査で、この市の人口は 23,993 人。二万四千人ほどだ。この市は平成の合併を経ず単独で歩んできたため、近年の人口の推移に合併由来の段差はない。二〇〇〇年の 31,935 人から、二〇〇五年の 30,657 人、二〇一〇年の 28,644 人、二〇一五年の 26,426 人、二〇二〇年の 23,993 人へと、二〇年で八千人近くが減ってきた。
中身を見ると、塩と酒で富んだ海辺の小京都が年齢を大きく上げる姿が出る。六五歳以上の割合は二〇二〇年で 42.0% と、四割を超えた。子育て世帯の割合は二〇二〇年で 14.2% と低く、粗出生率は二〇二〇年で千人あたり 4.2。保育の待機児童は二〇二四年・二〇二五年ともゼロ。財政力指数は二〇二三年度に 0.71 と、自前の税収で歳出の七割あまりを賄える、地方の市としては厚い水準にある。塩と酒で富んだ小京都の地が、合併を経ず単独のまま人口を減らす姿が数字に出ている。なぜこの形なのかは、製塩と酒造と町並みの来歴を遡らないと読めない。
出典: 総務省 国勢調査 / 総務省 地方財政状況調査 (財政力指数) / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ / 国土交通省 不動産情報ライブラリ
02 · 招いた技で焼いた塩・塩の富の酒造・小京都の町並み・単独の歩み — 数字の背後にある来歴
この街の骨格は、招いた技で焼いた塩という来歴と、塩の富で起こった酒造、小京都と呼ばれる町並み、そして単独の歩みによって据えられている。始まりの層は、塩である。江戸の世、この海辺の地は、新田を開くよう命じられたが、土に塩分が多く田に向かなかったため、遠い土地から技術者を招いて、海辺で塩を焼く道に転じた。やがてこの地の塩は、広く知られるようになった。海辺で焼く塩が、この街の土台であった。
この塩で得た富が、酒を醸した。塩で潤った商家は、酒造に手を広げ、塩と酒で栄える商家の町が築かれた。平安の世に都の社の荘園であったことから、この地は「安芸の小京都」 とも呼ばれた。塩を焼く釜は昭和の半ばに途絶えたが、その富が築いた白壁と格子の家並みは、いまも残り、国の選んだ保存の地区となっている。市となった道のりも、この街を映す。この街は、昭和の半ばに隣の町と一つになって市となったが、平成の世の合併には加わらず、単独で歩んできた。招いた技で焼いた塩と、塩の富の酒造、小京都の町並み、そして単独の歩み ── この街の形は、海辺で焼く塩が築いた富の、製塩と酒造の来歴の上に立っている。
出典: 竹原市/製塩と酒造 (江戸期に赤穂から技術者を招いて入浜式の製塩を始め、塩と酒造で栄えた・平安期に京の下鴨社の荘園であったことから「安芸の小京都」と呼ばれる 概説) / 竹原市/町並み保存地区 (上市・下市には製塩や酒造で栄えた屋敷や寺が残り、1982年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定 概説) / 竹原市 (広島県中南部の瀬戸内海沿岸・1958年に竹原町と忠海町が合併し市制・平成の合併はせず単独存続 概説)
03 · 塩と酒で富んだ小京都の地で、単独のまま人口を減らす
竹原市の特徴は、製塩と酒造という来歴を抱えながら、合併を経ず単独で、人口を減らしている点にある。二〇〇〇年の 31,935 人から二〇二〇年の 23,993 人まで、二〇年で八千人近くが減った。塩と酒で富んだこの海辺の地でも、塩を焼く営みの終わりとともに、若い世代の一部がより大きな都市の方へ移って、街全体の年齢が大きく上がってきたと読める。六五歳以上の割合が二〇二〇年で 42.0% と四割を超えたことは、その表れだ。
その一方で、保育の待機児童は二〇二四年・二〇二五年ともゼロで、子育て世帯の割合は二〇二〇年で 14.2%、粗出生率は二〇二〇年で千人あたり 4.2。財政力指数 0.71 は、自前の税収で歳出の七割あまりを賄える、地方の市としては厚い水準にある。塩を焼く釜は昭和の半ばに途絶え、いまや人口の四割超が高齢者だ。それでも財政力 0.71 が地方の市としては厚めなのは、海辺に工場や事業所を抱え続けているからだ、と読める。富を生む土台は、塩から白壁の町並みへ、そして臨海の事業所へと、形を替えながらこの街に残ってきた。
04 · 塩が酒を呼び、酒が町並みを遺した
竹原を読むなら、塩・酒・町並みの順に層をたどるのが早い。出発点は、田に向かなかった一片の海辺だ。新田には不向きな塩分の多い土を、遠い土地から招いた技で塩を焼く資源へと読み替えた。その塩が広く知られ、富を生んだ。
富は酒を醸し、酒で潤った商家が白壁と格子の町並みを遺した。塩を焼く釜が昭和の半ばに途絶えたあとも、富の置き土産である家並みは保存の地区として残り、平安の世に都の社の荘園であったことが「安芸の小京都」 の呼び名を添えた。一つが次を呼ぶこの連鎖が、瀬戸内に面した小さな海辺の町を、小京都と呼ばれるところまで運んだ。
出典: 竹原市/製塩と酒造 (江戸期に赤穂から技術者を招いて入浜式の製塩を始め、塩と酒造で栄えた・平安期に京の下鴨社の荘園であったことから「安芸の小京都」と呼ばれる 概説) / 竹原市/町並み保存地区 (上市・下市には製塩や酒造で栄えた屋敷や寺が残り、1982年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定 概説) / 竹原市 (広島県中南部の瀬戸内海沿岸・1958年に竹原町と忠海町が合併し市制・平成の合併はせず単独存続 概説)
05 · Atlas メモ — 竹原の数字を、来歴とともに読む
竹原の数字を並べると、単独のまま減る人口・高齢化率 42.0%・子育て世帯の割合 14.2% と高齢化の進む指標が並ぶ一方で、財政力 0.71 という、人口規模のわりに厚い数字が交じる。私が数字の手前で立ち止まりたいのは、田に向かない塩分の多い土を、塩を焼く資源として読み替えた、その不利を利に転じた来歴のほうだ。田には向かない土が、海辺の塩づくりという別の道を開き、その塩が富を生み、富が酒を醸した。不利な条件を、別の生業の入口として読み替えた連鎖は、この街の数字には表れない厚みを示す。
もう一つ気にかかるのは、人口が大きく減り高齢化が四割を超えながら、財政力が 0.71 と地方の市としては厚い、という食い違いだ。海辺に工場や事業所を抱えてきたことが、人口の規模に比べて税収の土台を厚くしている。塩から白壁の町並みへ、そして臨海の事業所へと、富を生む土台は形を替えながらこの街に残ってきた。釜の火が消えてなお残ったその土台に、人口の四割が高齢者となったいま、竹原が次にどんな役目を継がせるのか。その答えを、この街はまだ書いている途中だ。
出典: 総務省 国勢調査 / 竹原市/製塩と酒造 (江戸期に赤穂から技術者を招いて入浜式の製塩を始め、塩と酒造で栄えた・平安期に京の下鴨社の荘園であったことから「安芸の小京都」と呼ばれる 概説) / 竹原市/町並み保存地区 (上市・下市には製塩や酒造で栄えた屋敷や寺が残り、1982年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定 概説) / 竹原市 (広島県中南部の瀬戸内海沿岸・1958年に竹原町と忠海町が合併し市制・平成の合併はせず単独存続 概説)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (wave-cs1 2026-06-05)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: wavecs1_



