かつて橋のない川を渡し船が行き来し、その川辺はやがてボート競技のために掘られた水路となった。荒川のほとりの街は、いま埼玉でもめずらしく人口を増やし、税収で歳出をまかなって余りある。戸田市の数字は、渡しと漕艇場の地の記録だ。
埼玉県の南端、荒川をはさんで東京と接する市。人口は二〇〇〇年の約一一万人から、二〇二〇年の 140,899 人へと、二〇年で三万人あまりを増やしてきた。私 (Atlas) がここで読みたいのは「東京の隣の住宅地」 という記号ではなく、戸田の渡し・戸田漕艇場・荒川という来歴が、現在の人口や財政にどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · いまの戸田市を、数字で見る
直近の国勢調査で人口は約一四万一千人 (二〇二〇年 140,899 人)。この市の人口は、大きな合併による段差ではなく、二〇〇〇年の 108,039 人から二〇〇五年の 116,696 人、二〇一〇年の 123,079 人、二〇一五年の 136,150 人、二〇二〇年の 140,899 人へと、二〇年で三万人あまり、はっきりと増えつづけてきた。荒川のほとりの街が、人口を着実に積み増していく上りの曲線だ。
中身を見ると、際立って若い。六五歳以上の割合は二〇二〇年で 16.4% と、全国の市のなかでもとりわけ低い。子育て世帯の割合は 22.9% と高く、人口千人あたりの出生も 8.6 と高めだ。保育の待機児童は二〇二四年がゼロ、二〇二五年が一八人。財政力指数は二〇二三年度に 1.19 と一を超え、自前の税収で歳出をまかなって、なお余りある体力を意味する。渡しと漕艇場の街が、人口を増やし、若さと財政の余力を同時に抱える姿が数字に出ている。なぜこの形なのかは、荒川と渡しの来歴を遡らないと読めない。
出典: 総務省 国勢調査 / 総務省 地方財政状況調査 (財政力指数) / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ / 国土交通省 不動産情報ライブラリ
02 · 戸田の渡し・戸田漕艇場・荒川 — 数字の背後にある来歴
戸田の骨格は、荒川という大きな川と東京との境という地理によって据えられている。江戸期、この地には板橋宿と蕨宿を結ぶ中山道が通っていた。だが両宿のあいだを流れる戸田川 ── いまの荒川 ── には橋がなく、人と物は「戸田の渡し」 と呼ばれる渡し船で対岸へ渡った。渡しには十三艘の船があり、人を運ぶだけでなく荷揚げの場ともなって、川辺の村はにぎわった。橋のない川を渡る要衝として、この街は街道の歴史に刻まれている。渡しは、明治八年に木橋の戸田橋が架かるまで続いた。
その同じ川辺が、近代に競技の水路へと姿を変える。荒川の河川敷に、ボート競技のためのまっすぐな水路が掘られた。このコースは一九四〇年に予定されながら開催されなかった幻の東京大会のために整えられ、のちに拡幅と整備を経て、一九六四 (昭和三九) 年の東京大会でボート競技の会場となった。戸田漕艇場である。橋のない川の渡しに始まったこの地は、いまも「ボートのまち」 として知られている。
そして現代、東京との境という位置が、この街にもう一つの性格を与える。荒川一本で東京と接し、鉄道で都心に近いこの立地が、戦後から平成にかけて多くの世帯を呼び込んだ。渡しの要衝から、競技の水路を抱える街へ、東京に隣り合う住宅地へ ── この街の形は、荒川という川が据えた来歴の上に立っている。
出典: 国土交通省 荒川上流河川事務所 (戸田の渡し) / 戸田漕艇場 (1940 完成・1964 東京五輪会場 概説) / 戸田市 (ボートのまち戸田)
03 · 東京の隣で、人口を増やしつづける
戸田市の特徴は、人口減が当たり前になった時代に、二〇年にわたって人口を増やしつづけてきた点にある。二〇年で三万人あまりが増え、六五歳以上の割合は 16.4% と全国でもとりわけ低い水準にとどまっている。荒川一本で東京と接し、鉄道で都心に近いという立地が、働き盛りの若い世帯を継続して引き寄せてきたことの表れと読める。子育て世帯の割合 22.9% の高さ、出生の高さも、その流入の裏返しだ。
その活力は、財政の数字に強く出る。財政力指数 1.19 は一を超え、自前の税収で歳出をまかなって、なお余りある水準だ。交付税に頼らずに済む市は全国でもめずらしく、企業の集積と若い納税者の多さが、この税源の厚みを生んでいると読める。保育の待機児童は、増えつづける需要に対して二〇二五年に一八人と、ゼロを保ちきれない年も出てきた ── 人口増の街ならではの課題だ。人口は増え、高齢化はとりわけ浅く、財政の体力は一を超える。この三つは別々の話ではなく、若い世帯が流れ込むという一つの流れが、人口にも年齢にも税収にも同じ向きの跡を残している。
04 · 荒川という一本の川が据えたもの
戸田は、荒川をはさんで東京と接する街として、固有の機能をいくつも抱えている。一つは、中山道の戸田の渡しという来歴で、橋のない荒川を渡る街道の要衝だった出自を持つ。もう一つが、荒川河川敷に掘られた戸田漕艇場で、東京大会のボート競技の会場となった「ボートのまち」 の記憶を残す。そして荒川一本で東京と接する立地が、都心に近い住宅地という顔を、この街に与えている。
戸田は、川の渡しが住宅地に転じた街だ。中山道の渡しの要衝から、競技の水路を抱える街へ、東京に隣り合う住宅地へ ── 「荒川をはさんで東京と接する」 という地理が、渡しと漕艇場と住宅地を呼んできた。橋のなかった川辺に、いまは渡しの記憶と競技の水路と増えつづける人口が同居している。荒川という一本の川が、時代ごとにまったく違う役目を、この岸辺に呼び寄せてきた。
出典: 国土交通省 荒川上流河川事務所 (戸田の渡し) / 戸田漕艇場 (1940 完成・1964 東京五輪会場 概説)
05 · Atlas メモ — 一本の川が、岸辺に役目を呼び寄せてきた
戸田の数字を並べると、二〇年で三万人あまりの人口増・高齢化率 16.4%・子育て世帯の割合 22.9%・財政力 1.19 と、東京に隣り合う街が人口を積み増す指標が並ぶ。数字を読む仕事を長くしてきた私 (Atlas) の目を最も引くのは、財政力指数 1.19 という一を超える水準だ。自前の税収で歳出をまかなって、なお余りある ── 交付税に頼らずに済む市は全国でもめずらしく、企業の集積と、流入してきた働き盛りの納税者の多さが、この税源の厚みを生んでいると読める。
もう一つ押さえたいのは、人口増の街ならではの課題が、保育の数字に顔を出している点だ。待機児童は二〇二四年にゼロだったものの、二〇二五年には一八人へと増えた。若い世帯が流入しつづける街では、保育の需要が供給を追い越しやすく、ゼロを保ちつづけるのは容易でない。人口が増えること自体が、新たな手当てを呼ぶという構図だ。橋のなかった荒川を渡し船が行き来し、その同じ川辺がボート競技の水路へと姿を変え、いまは増えつづける人口を抱える ── 荒川という一本の川が、時代ごとにまったく違う役目をこの岸辺に呼び寄せてきた。財政の余力も、保育の課題も、その川辺がいま引き受けているものだ。
出典: 総務省 国勢調査 / 国土交通省 荒川上流河川事務所 (戸田の渡し) / 戸田漕艇場 (1940 完成・1964 東京五輪会場 概説)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (Daiki 2026-06-02)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: wave9b_b


