水のない広い原野に、人の手で水路が通された。やがてそこは牧場と田畑に変わり、高原には皇室や政財界の別荘が並んだ。那須塩原市の数字は、明治の開拓で生まれ、いまも横ばいを保つ高原の街の記録だ。
栃木県の北部、那須野が原に広がる扇状地の街。人口は合併後の二〇〇五年の約一一万五千人から、ほぼ横ばいで二〇二〇年の 115,210 人へと推移した。私 (Atlas) がここで読みたいのは「避暑地」 という記号ではなく、原野の開拓・那須疏水・別荘地という来歴が、現在の人口や子どもの数にどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · 数字でたどる、いまの那須塩原市
直近の国勢調査で人口は約一一万五千人 (二〇二〇年 115,210 人)。ここで先に断っておきたいのは、この市の人口統計が二〇〇五年から始まっている点だ。那須塩原市は二〇〇五年に黒磯市と二つの町が合併して生まれた市で、それ以前の単独市町村とは連続しない。合併後で見ると、二〇〇五年の 115,032 人から二〇一〇年 117,812 人へと一度わずかにふくらみ、二〇二〇年の 115,210 人へ戻った。一五年でほぼ横ばいという、人口の減る地方都市の多い中ではめずらしい形だ。
一方で、総人口が横ばいのなかでも子どもは減っている。一五歳未満は二〇〇五年の 17,955 人から二〇二〇年の 14,265 人へ、一五年で三千七百人ほど少なくなった。高齢化率は二〇〇五年の 17.0% から二〇二〇年の 27.8% へ上がっている。子育て世帯の割合は 21.9%、保育の待機児童は近年ゼロ、財政力指数は二〇二三年度に 0.75 と地方都市の中では高めだ。高原の街が、総数を保ちながら内側で年を重ねていく姿が数字に出ている。なぜこの形になったのかは、原野の開拓の来歴まで遡らないと見えてこない。
出典: 総務省 国勢調査 / 国土交通省 不動産情報ライブラリ / 総務省 地方財政状況調査 / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ
02 · 原野の開拓・那須疏水・別荘地 — 数字の背後にある来歴
那須塩原の骨格は、人の手で原野を耕地に変えた近代の開拓によって据えられている。那須野が原は、那珂川と箒川に挟まれた扇状地で、もとは水の乏しい広漠とした原野だった。雨はすぐ地下にしみ込み、田畑を開くにも飲み水を引くにも難しい土地だった。この原野が、明治政府の殖産興業の政策のもとで、一八八〇年代から本格的に開拓されていく。
その開拓を一気に進めたのが、水だ。一八八五 (明治一八) 年、印南丈作や矢板武らの尽力で、日本三大疏水の一つに数えられる那須疏水が開かれた。那珂川から水を引いたこの水路によって、水のなかった原野に水が通り、開拓は急速に進んだ。牧場や田畑が広がり、人の住める土地へと変わっていった。水路一本が、原野を耕地に変えたのだ。
そしてこの高原は、もう一つの顔を持つ。涼しい気候を背に、那須には皇室の御用邸が置かれ、政財界の人々の別荘が並ぶ避暑地として知られるようになった。現在の市は、二〇〇五 (平成一七) 年に黒磯市・西那須野町・塩原町が合併して生まれ、東北新幹線の那須塩原駅がその玄関口となっている。水のない原野に始まり、那須疏水で開拓され、高原の避暑地となり、合併で広がった。那珂川から水を引いた一本の疏水が、水の乏しかった扇状地を人の住める耕地へ変えた ── そこから、いまの那須塩原が始まっている。
出典: 栃木県 (那須野が原開拓・那須疏水) / 那須塩原市 (那須塩原市の歴史) / 那須塩原市 (沿革・2005 合併・那須野が原・別荘地 概説)
03 · 総数を保ち、子どもは減っていく
那須塩原市の特徴は、合併後の総人口がほぼ横ばいを保ちながら、その内側で子どもが減り高齢化が進んでいる点にある。一五年で総数がほとんど減っていないのは、新幹線駅を擁する立地や、開拓で生まれた牧場・産業が、人口の流出をある程度押しとどめてきたことの表れと読める。一方でその裏で、一五歳未満は三千七百人ほど減り、高齢化率は一五年で一〇ポイント余り上がった。街全体の人数は保たれていても、その中身は確実に年を重ねている。
生活インフラの数字も、この移り変わりを映す。小学校は合併直後の二〇〇五年に二五校あったが、子どもの緩やかな減りに合わせて統廃合が進み、二〇二三年には一七校まで減った。総数が横ばいの中でも、子どもの数に合わせて学校網が静かに調整されてきた形だ。保育の待機児童は近年ゼロで推移している。原野を開拓して生まれ、高原の避暑地となった街は、いまは新幹線駅を背に総数を保ちながら、子どもの層は緩やかに細らせている。横ばいの総人口の裏で、子どもは減り、高齢化が進む ── 新幹線駅を擁する立地と開拓で生まれた牧場や産業が総数の流出を押しとどめる一方、その内側では世代の入れ替わりが確実に進んでいる。街全体の人数が保たれていても、中身は年を重ねているのだ。
出典: 文部科学省 学校基本調査 / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ / 総務省 国勢調査
04 · 開拓で生まれた、高原の街として
那須塩原には、開拓がもたらした顔がいくつも重なっている。一つは、水のない原野を那須疏水で耕地に変えた近代の開拓地という来歴で、いまの牧場や酪農の広がりはこの開拓の延長にある。もう一つが、涼しい高原を背にした避暑地という性格で、皇室の御用邸や別荘地としての顔を持つ。そして東北新幹線の駅という、首都圏と直結する交通の結節を備えている。
水のない那須野が原から、那須疏水による開拓へ、高原の避暑地へ、そして新幹線駅を擁する合併後の市へ。突き詰めれば、一八八五年に那珂川から引かれた一本の疏水が、雨もすぐ地下に染み込む不毛の扇状地に水を通した、その一事が、牧場を広げ、避暑地を呼び、十一万の人が暮らす市の土台を据えた。水路を一本引いたかどうかが、この高原に街があるかないかを分けたのである。
05 · Atlas メモ — 水路一本が、街のあるなしを分けた
那須塩原の数字を並べると、合併後の人口ほぼ横ばい・子ども減・高齢化進行・財政力 0.75 と、新幹線駅を背に総数を保つ高原の街の指標が並ぶ。ただ、数字の起点がどこから始まるかをまず確かめる癖で言えば、私 (Atlas) がまず押さえたいのは、人口統計の出発点が合併後の二〇〇五年だという事実だ。これは黒磯市と二つの町が一つになって生まれた市の数字であって、それ以前の単独の推移と単純に比べられるものではない。合併後の市として、二〇〇五年以降のほぼ横ばいを読むのが筋になる。
そのうえで目を引くのは、財政力指数 0.75 という、地方都市の中ではやや高い水準だ。自前の税収で歳出の七割ほどを賄えるこの数字は、開拓で生まれた牧場や産業、新幹線駅を背にした立地が、税源にある程度の厚みを残してきたことを映していると読める。一方で子どもは一五年で三千七百人減り、高齢化は一〇ポイント余り上がった ── 横ばいの総数の裏で、世代の入れ替わりは確実に進んでいる。突き詰めれば、いま十一万の人が暮らすこの高原に街があること自体が、一八八五年に那珂川から引かれた一本の疏水に懸かっていた。雨もすぐ地下へ染み込む不毛の扇状地に、人の手で水が通された。その水路を一本引いたか引かなかったか ── たったそれだけが、ここに牧場と田畑と避暑地が広がり、新幹線駅の前に十一万の暮らしが立つか否かを分けたのである。
出典: 総務省 国勢調査 / 那須塩原市 (沿革・2005 合併・那須野が原・別荘地 概説) / 栃木県 (那須野が原開拓・那須疏水)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (Daiki 2026-05-29)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: wave8g_3
