この街では、八百年ほど前から、刀が鍛えられてきた。各地から刀匠が集まり、折れず、曲がらず、よく切れる刀を生んだその技は、近代になって、包丁やはさみといった暮らしの刃物へと受け継がれた。そしてこの街は、平成の合併で市域を広げた結果、いまは日本の人口の重心を、その市域のなかに抱えている。関市の数字は、刀から刃物へ継がれた技と、市域を広げた合併という来歴が刻まれた街の記録だ。
岐阜県の中濃地域、長良川とその支流が出会う一帯に開ける市。人口は、二〇〇五年の合併で市域を広げ、二〇〇五年の 92,597 人から、二〇二〇年の 85,283 人へと推移してきた。なお、合併前の旧関市の二〇〇〇年の人口は 74,438 人で、本記事の数字の段差はこの合併を映している。私 (Atlas) がここで読みたいのは「刃物のまち」 という記号ではなく、刀から刃物へ継がれた技と市域を広げた合併という来歴が、現在の人口や財政にどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · いまの関市を、数字で見る
直近の国勢調査で人口は約八万五千人 (二〇二〇年 85,283 人)。この市の人口を読むには、合併を踏まえる必要がある。二〇〇五年、関市は周りの五つの町村を編入して、市域を大きく広げた。合併前の旧関市の二〇〇〇年の人口は 74,438 人で、合併を経た二〇〇五年は 92,597 人。そこから二〇一〇年の 91,418 人、二〇一五年の 89,153 人、そして二〇二〇年の 85,283 人へと、合併後はなだらかに減ってきた。本記事の人口の段差は、この合併による市域の拡大を映している。
中身を見ると、産業を抱えた中濃の中核都市らしい姿が出る。六五歳以上の割合は二〇〇〇年の 15.6% から二〇二〇年の 30.5% へと上がり、三割を超えた。子育て世帯の割合は二〇二〇年で 22.0% と高め、保育の待機児童は二〇二四年・二〇二五年ともゼロ。財政力指数は二〇二三年度に 0.59 と、自前の税収で歳出の六割ほどを賄える、中小都市としては中位の水準にある。刀の技を包丁へ継いだ刃物の町が、合併後の市域で人口を緩やかに減らしながら高齢化を深める姿が数字に出ている。なぜこの形なのかは、関鍛冶と合併の来歴を遡らないと読めない。
出典: 総務省 国勢調査 / 総務省 地方財政状況調査 (財政力指数) / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ / 国土交通省 不動産情報ライブラリ
02 · 鎌倉以来の関鍛冶・刀から包丁へ・市域を広げた合併 — 数字の背後にある来歴
この街の骨格は、八百年ほど前に始まった刀づくりと、それを近代の刃物へ継いだ技、そして市域を広げた合併によって据えられている。古い層は、刀である。一三世紀の鎌倉の時代、この地で刀づくりが始まったと伝わる。京と東国を結ぶ交通の要にあたるこの地は、刀づくりに欠かせない良質の土と松の炭、そして川の水に恵まれていたため、各地から多くの刀匠が集まった。南北朝の時代には、この地の刀づくりの技は一つの流派として確立し、日本の刀の名だたる流派の一つに数えられた。折れず、曲がらず、よく切れると評され、多くの武士がこの地の刀を求めた。なかでも、名工の名は、この地を代表する刀の代名詞として、今も語り継がれている。
そして近代、この街は刀の技を、暮らしの刃物へと継いだ。武士の世が終わって刀の需要が失われたのち、この地の刀鍛冶の技は、包丁やはさみ、かみそり、爪切りといった暮らしの刃物づくりへと受け継がれ、街は刃物の一大産地として、海の外にまで製品を送り出す町となった。一方、二〇〇五年、関市は周りの五つの町村を編入して、市域を大きく広げた。この合併でこの市は、ある町を抱きこむような独特の形となり、その市域のなかに、日本の人口の重心が位置するにいたった。鎌倉以来の刀の技を包丁へ継ぎ、合併で市域を広げた ── この街の形は、川と交通の要という地理が抱えた、刀づくりと合併の来歴の上に立っている。
出典: 関の刃物「刃物の町 関市」 (13 世紀鎌倉から関鍛冶・南北朝に美濃伝・関の孫六 概説) / 関市 (1950 市制・2005 武儀郡 5 町村編入で V 字市域=日本の人口重心・刃物 概説)
03 · 刃物の町で、合併後の市域の人口を緩やかに減らす
関市の特徴は、刀から刃物へ継がれた技という来歴を抱えながら、合併で広げた市域の人口を、緩やかに減らしている点にある。合併を経た二〇〇五年の 92,597 人から二〇二〇年の 85,283 人まで、一五年で七千人あまりが減った。刀の技を継いだ刃物づくりの産業は、いまもこの街の働く場を支えているが、それでも、合併で抱えた山あいの町村を含む市域の人口は、緩やかに減ってきた。とりわけ、編入した山あいの一帯では、若い世代が都市部へ移る流れが、人口の減少を進めたと読める。六五歳以上の割合が二〇二〇年で 30.5% と三割を超えたのも、その人口構成の表れだ。
その一方で、子育て世帯の割合は二〇二〇年で 22.0% と高めで、保育の待機児童も二〇二四年・二〇二五年ともゼロだ。刃物づくりなどの産業が、働く子育て世代の暮らしを一定に支えていると読める。財政力指数 0.59 は、自前の税収で歳出の六割ほどを賄える水準で、中小都市としては中位にある。刃物の産業の事業所と、住む人の所得が、税源を中位に支えていると読める。刃物の町は、いまは合併後の市域で人口を緩やかに減らしながら高齢化を深めている。人口は合併後に緩やかに減り、高齢化は三割を超え、財政の体力は中位。減る人口のなかで財政が中位に保たれるのは、刀から継いだ刃物づくりが、いまも市域の働く場を支えているからにほかならない。
04 · 刀の技を包丁へ継ぎ、市域に人口の重心を抱える街
関は、固有の機能をいくつも抱えている。一つは、鎌倉以来この地で鍛えられ、一つの流派として確立した刀づくりという来歴で、折れず、曲がらず、よく切れると評された古層を持つ。もう一つが、武士の世が終わったのち、刀の技を包丁やはさみといった暮らしの刃物へ継いだ性格で、海の外にまで製品を送り出す刃物の産地という構造を残す。そして、二〇〇五年の合併で広げた市域が、日本の人口の重心を抱えるという、稀な位置をこの街に与えている。
関は、刀の技を包丁へ継ぎ、市域に人口の重心を抱える街だ。鎌倉以来の刀づくりから、暮らしの刃物への継承、そして市域を広げた合併へ ── 「川と交通の要に恵まれる」 という地理が、各地から刀匠を呼び、刀づくりを根づかせて、街の骨格を据えた。武士の世が終わって刀の需要が消えたとき、この地の技は折れず曲がらず、包丁とはさみへ担う相手を替えて生き延びた。八百年続いたのは刀そのものではなく、鋼を鍛える手だった。
出典: 関の刃物「刃物の町 関市」 (13 世紀鎌倉から関鍛冶・南北朝に美濃伝・関の孫六 概説) / 関市 (1950 市制・2005 武儀郡 5 町村編入で V 字市域=日本の人口重心・刃物 概説)
05 · Atlas メモ — 八百年続いたのは刀ではなく、鋼に向かう手のほうだ
関の数字を並べると、合併後に緩やかに減る人口・高齢化率 30.5%・子育て世帯の割合 22.0%・財政力 0.59 と、産業を抱えた中濃の中核都市の指標が並ぶ。だが私 (Atlas) が会計の目で、まず断っておきたいのは、この市の人口の段差が、二〇〇五年の合併によるものだという点だ。合併前の旧関市の二〇〇〇年の人口は 74,438 人で、二〇〇五年の 92,597 人という数字は、五つの町村を編入して市域を広げた結果だ。人口の数字を時系列で読むとき、こうした合併の段差を見落とすと、街の姿を読み誤る。だからこそ、旧市単独の値を断ったうえで読む必要がある。
そのうえで読みたいのは、刀の技が、暮らしの刃物へと継がれた点だ。武士の世が終わって刀の需要が失われたとき、この地の刀鍛冶の技は消えず、包丁やはさみといった暮らしの刃物づくりへと姿を変えた。一つの技が、時代の求めに合わせて担う対象を変えながら、八百年にわたって受け継がれている ── この継承の力が、いまもこの街の働く場を支え、子育て世帯の割合を高めに保っている、という筋道が読める。武士が腰に差した鋼を鍛えた手が、いまは台所に立つ包丁を鍛えている。刀の需要が消えたあの時、もし鍛冶が鋼そのものから手を離していたら、この街の働く場はとうに痩せていたはずだ。八百年続いたのは刀ではなく、鋼に向かう手のほうだった ── では、その手は次に何を鍛えるのか。それを問えるのは、いまこの街で鋼に向かっている職人と、その背を見て育つ子どもたちだけだ。
出典: 総務省 国勢調査 / 関の刃物「刃物の町 関市」 (13 世紀鎌倉から関鍛冶・南北朝に美濃伝・関の孫六 概説) / 関市 (1950 市制・2005 武儀郡 5 町村編入で V 字市域=日本の人口重心・刃物 概説)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (Daiki 2026-06-02)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: wave15_8


