この街の里からは、天秤棒を担いで全国を歩き、行商で財を成した商人が、数多く生まれた。売り手にも買い手にも、世間にもよい商いを、という心構えを掲げた近江の商人で、その商人たちが築いた邸宅は、いまも里に並んで残る。里には聖徳太子ゆかりの霊山があり、男子の誕生を祝う大凧を競い揚げる習わしも伝わる。平成の世、この行商の商人の里は、七つの市町村を束ねて発足し、湖の東岸で、人口を一一万のあたりの高い水準で保ってきた。東近江市の数字は、行商の商人を生んだ里と七市町村の合併という来歴が刻まれた街の記録だ。
滋賀県の東部、大きな湖の東岸の近江盆地に開ける市。この市は二段の合併で広がった。二〇〇五年、行商の商人を生んだ里を含む五つの市町が合併し、翌二〇〇六年、さらに二つの町を編入した。合併直後の二〇〇五年の人口は 78,803 人で、編入を経た市域での二〇一〇年は 115,479 人。そこから二〇二〇年の 112,819 人へと、一一万のあたりの高い水準で推移してきた。私 (Atlas) がここで読みたいのは「湖東の中核」 という記号ではなく、行商の商人を生んだ里と七市町村の合併という来歴が、現在の人口や財政にどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · いまの東近江市を、数字で見る
直近の国勢調査で人口は約一一万人 (二〇二〇年 112,819 人)。この市の人口を読むには、二段の合併を踏まえる必要がある。二〇〇五年の冬、行商の商人を生んだ里を含む五つの市町が合併し、翌二〇〇六年の初め、さらに二つの町を編入した。合併直後の二〇〇五年の人口は 78,803 人で、編入を経た市域での二〇一〇年は 115,479 人。本記事の二〇〇五年と二〇一〇年のあいだの人口の段差は、この二段の合併による市域の拡大を映している。そこから二〇一五年の 114,180 人、二〇二〇年の 112,819 人へと、合併後は一一万のあたりの高い水準で、緩やかに推移してきた。
中身を見ると、湖東の盆地に開けた市の姿が出る。六五歳以上の割合は二〇〇五年の 19.8% から二〇二〇年の 28.3% へと上がったが、四割に迫る地方都市も多いなかで、三割を切る。子育て世帯の割合は二〇二〇年で 21.8% とやや高めで、保育の待機児童は二〇二四年で 8 人、二〇二五年で 15 人と、わずかながら生じている。財政力指数は二〇二三年度に 0.60 と、自前の税収で歳出の六割を賄える、中位の水準にある。行商の商人を生んだ里を含む市が、合併ののち一一万のあたりの高い水準で人口を保つ姿が数字に出ている。なぜこの形なのかは、近江商人と二段の合併の来歴を遡らないと読めない。
出典: 総務省 国勢調査 / 総務省 地方財政状況調査 (財政力指数) / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ / 国土交通省 不動産情報ライブラリ
02 · 行商の商人を生んだ里・聖徳太子ゆかりの霊山・男子を祝う大凧・二段で七市町村の合併 — 数字の背後にある来歴
この街の骨格は、行商の商人を生んだ里という来歴と、聖徳太子ゆかりの霊山、男子を祝う大凧の習わし、そして二段で七つの市町村を束ねた合併によって据えられている。始まりの層は、商人である。この市の里からは、天秤棒を担いで全国を歩き、行商で財を成した商人が、数多く生まれた。売り手にも買い手にも、世間にもよい商いを、という心構えを掲げた近江の商人で、その商人たちが江戸の後期から昭和の初めにかけて築いた邸宅は、いまも里に並んで残り、国の重要な建造物群の保存地区に挙げられている。行商の商人を生んだ里が、この街の中心の来歴である。
この里には、聖徳太子ゆかりの霊山が重なる。神宿る霊山として尊ばれた山に、聖徳太子が神祀りをしたことに端を発すると伝わる社があり、地域は聖徳太子ゆかりの地として知られる。あわせて、江戸の中頃に男子の誕生を祝って揚げられたのに始まると伝わる大凧を、村ごとに競い揚げる習わしも伝わり、国の選んだ無形の民俗の文化財に挙げられている。市となった道のりも、この街を映す。二〇〇五年、行商の商人を生んだ里を含む五つの市町が合併し、翌二〇〇六年、さらに二つの町を編入して、いまの市域が広がった。行商の商人を生んだ里と、聖徳太子ゆかりの霊山、男子を祝う大凧、そして二段で七市町村の合併 ── この街の形は、行商の商人を生んだ近江盆地が抱えた、商人と霊山の来歴の上に立っている。
出典: 東近江市/近江商人 (五個荘 金堂地区は江戸後期〜昭和初期に多くの近江商人を輩出した在郷町で商人の邸宅が面的に残り国の重要伝統的建造物群保存地区・「三方よし」の行商の商人 概説) / 東近江市/太郎坊宮・聖徳太子 (約1400年前の創建と伝わり 神宿る霊山 赤神山に聖徳太子が神祀りをしたことに端を発すると伝わる神社・東近江地域は聖徳太子ゆかりの地 概説) / 東近江市/東近江大凧 (江戸中期に男子出生を祝い揚げられたのが始まりと伝わる大凧・「近江八日市の大凧揚げ習俗」は国選択無形民俗文化財 概説) / 東近江市 (2005-2-11 八日市市と永源寺町/五個荘町/愛東町/湖東町が合併→2006-1-1 能登川町/蒲生町を編入・琵琶湖東岸の近江盆地 概説)
03 · 行商の商人を生んだ里を含む市で、合併ののち高い水準で人口を保つ
東近江市の特徴は、行商の商人を生んだ里という来歴を抱えながら、合併ののち一一万のあたりの高い水準で人口を保っている点にある。編入を経た市域での二〇一〇年の 115,479 人から二〇二〇年の 112,819 人まで、一〇年で二千人あまりの緩やかな減少にとどまり、一一万のあたりを保ってきた。多くの地方都市が人口を減らすなか、この市が高い水準を保ってきた背後には、大きな湖の東岸の盆地で、商人の里に古くから人と物が集まり、二段の合併で広い市域に人口を束ねたことがあると読める。六五歳以上の割合が二〇二〇年で 28.3% と三割を切り、子育て世帯の割合が 21.8% とやや高めなのは、その表れだ。
その一方で、保育の待機児童は二〇二四年で 8 人、二〇二五年で 15 人と、わずかながら生じている。子を育てる世帯の需要に対し、保育の受け皿の調整が完全には追いついていない局面があることの表れだと読める。財政力指数 0.60 は、自前の税収で歳出の六割を賄える水準で、中位にある。盆地に立地する製造の生業と、商人の里に暮らす世帯の所得が、税源を中位に支えていると読める。広い市域に人口を高い水準で束ねながら、年齢を上げ、保育の需要をなお抱える ── 七つの市町村を一つに編んだ盆地の市の今は、こうした幾つかの動きが重なったところに立っている。
04 · 行商の商人を生んだ里が、七市町村を束ねた市となった
東近江は、固有の機能をいくつも抱えている。一つは、天秤棒を担いで全国を歩き行商で財を成した近江の商人を数多く生み、その邸宅が里に並んで残り国の重要な建造物群の保存地区に挙げられた来歴を持つ。もう一つが、聖徳太子ゆかりの霊山を抱え、男子の誕生を祝う大凧を競い揚げる習わしを伝える性格を抱える。そして、大きな湖の東岸の近江盆地という地形が、行商の商人を生んだ里と、二段の合併による広い市域の双方をこの市に抱えさせた。
東近江は、行商の商人を生んだ里が、七市町村を束ねた市となった街だ。行商の商人を生んだ里から、聖徳太子ゆかりの霊山、男子を祝う大凧、そして二段で七市町村の合併まで ── 「大きな湖の東岸の近江盆地」 という地理が、行商の商人を生んだ里を立て、二段の合併で七市町村を一つの市域に束ねた。地元で売るのではなく、天秤棒を担いで全国を歩いて売る ── その商いの形が、遠くで成した財を里に持ち帰らせ、いまも国の重要な建造物群に挙げられる邸宅の並びとなって、近江盆地に残っている。
出典: 東近江市/近江商人 (五個荘 金堂地区は江戸後期〜昭和初期に多くの近江商人を輩出した在郷町で商人の邸宅が面的に残り国の重要伝統的建造物群保存地区・「三方よし」の行商の商人 概説) / 東近江市/太郎坊宮・聖徳太子 (約1400年前の創建と伝わり 神宿る霊山 赤神山に聖徳太子が神祀りをしたことに端を発すると伝わる神社・東近江地域は聖徳太子ゆかりの地 概説) / 東近江市 (2005-2-11 八日市市と永源寺町/五個荘町/愛東町/湖東町が合併→2006-1-1 能登川町/蒲生町を編入・琵琶湖東岸の近江盆地 概説)
05 · Atlas メモ — 行商の商人を生んだ街の数字を読む
東近江の数字を並べると、一一万のあたりで保つ人口・高齢化率 28.3%・子育て世帯の割合 21.8%・財政力 0.60 と、湖東の盆地に開けた市の指標が並ぶ。私 (Atlas) が会計の目でこの街を読むとき、まず立ち止まりたいのは、この街の里が「行商で財を成した商人」 を数多く生んだ、という来歴の意味だ。天秤棒を担いで全国を歩いたこの商人たちは、売り手にも買い手にも、世間にもよい商いを、という心構えを掲げたと伝わり、その商人が築いた邸宅は、いまも里に並んで残る。地元で売るのではなく、遠くまで歩いて売るという商いの形が、財を里に持ち帰らせ、邸宅と文化を里に残した ── この連なりは、この街の成り立ちをよく説明する。
もう一つ考えたいのは、二段の合併で七つの市町村を束ねながら、一一万のあたりの高い水準で人口を保っている点だ。一方で、保育の待機児童は二〇二四年で 8 人、二〇二五年で 15 人と、わずかながら生じている。多くの市が待機児童をゼロに抑えるなかで、保育の受け皿の調整が完全には追いついていない局面がある、という事実は、人口を高い水準で保つ市の内側で、子育ての需要がなお動いていることを映している。遠くまで歩いて売るという商いの形が財を里に持ち帰らせ、邸宅と文化を残した。その里が七つの市町村を束ねて一一万を保ちながら、待機児童一五人という子育ての需要をなお内側に動かしている。
出典: 総務省 国勢調査 / 東近江市/近江商人 (五個荘 金堂地区は江戸後期〜昭和初期に多くの近江商人を輩出した在郷町で商人の邸宅が面的に残り国の重要伝統的建造物群保存地区・「三方よし」の行商の商人 概説) / 東近江市/太郎坊宮・聖徳太子 (約1400年前の創建と伝わり 神宿る霊山 赤神山に聖徳太子が神祀りをしたことに端を発すると伝わる神社・東近江地域は聖徳太子ゆかりの地 概説) / 東近江市/東近江大凧 (江戸中期に男子出生を祝い揚げられたのが始まりと伝わる大凧・「近江八日市の大凧揚げ習俗」は国選択無形民俗文化財 概説) / 東近江市 (2005-2-11 八日市市と永源寺町/五個荘町/愛東町/湖東町が合併→2006-1-1 能登川町/蒲生町を編入・琵琶湖東岸の近江盆地 概説)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (Daiki 2026-06-02)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: wave23_c




