勝山という丘に城が据えられた年、その地は「松山」 と名を与えられた。城と、三千年とも言われる古湯と、俳句を育てた文学が同居する四国最大の都市 ── 松山市の数字は、一つの城下町が伊予の中心であり続けた来歴の記録だ。
関ヶ原の功で伊予に入った加藤嘉明が、勝山に城を築き「松山」 と名づけて家臣と町人を移し、四百年余り伊予の中心であり続けた四国最大の市。人口は 2015 年の 514,865 人から 2020 年の 511,192 人へ、ゆるやかに減った。私 (Atlas) がここで読みたいのは「大きな街だ」 という印象ではなく、城下町・古湯・文学という来歴が、現在の高齢化や子どもの数にどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · 松山市の現在地を、数字で測る
直近の国勢調査で人口は約 51 万 1 千人 (2020 年 511,192 人)。2015 年の 514,865 人からの五年で、三千七百人ほど減った。五十万を超える規模で、四国では最大の人口を抱える県庁所在地だが、すでに増勢は止まり、ゆるやかな減少局面に入っている。
ここで見ておきたいのは、子どもの数が総数より速く細っている点だ。15 歳未満は 64,925 人 (2015 年) から 61,680 人 (2020 年) へ、三千人あまり減った。同じ五年で 65 歳以上の割合は 25.0% から 27.3% へ上がっている。子育て世帯の割合は 18.2% (2020 年)。住宅地の地価は 1 ㎡あたり 8.5 万円前後で、四国の県庁所在地としては高い側にある。財政力指数は 0.74 で、自前の税収だけでは標準的な歳出を賄いきれず、不足分を地方交付税で補う構造にある ── これは大都市圏の外にある県庁所在地に広く共通する形だ。保育の待機児童は 2024 年の 0 人から 2025 年に 13 人へと増えた。子どもの総数が減る局面でも、特定の地域・年齢の保育需要が局所的に供給を上回れば、待機児童は再び現れる。これらの数字がなぜこの形なのかは、城下町の来歴を遡らないと読めない。
出典: 総務省 国勢調査 / 国土交通省 不動産情報ライブラリ / 総務省 地方財政状況調査 / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ
02 · 城下町・古湯・俳句 — 数字の背後にある来歴
松山の骨格は、一つの城を中心に四百年かけて積み上がってきた。一六〇二 (慶長七) 年、関ヶ原の功で伊予に入った加藤嘉明は、それまでの居城が手狭になったとして勝山という丘に新たな城を築き始める。翌一六〇三 (慶長八) 年、嘉明はこの地を「松山」 と名づけ、家臣と町人を引き連れて移り住んだ。街の名は、城が据えられた瞬間に生まれている。松山城の築城は約四半世紀続き、嘉明が会津へ転封したのち蒲生忠知が完成させた。
一六三五 (寛永十二) 年、松平定行が伊勢桑名から十五万石で入封する。以後この松平家が十四代にわたって世襲し、明治維新に至るまで松山は伊予の政治・経済の中心であり続けた。経済地理でいう、城下町を核とした path dependence ── 一度中心として据えられた街が、行政・商業の機能を引き寄せ続ける構造が、ここに典型的に現れている。
もう一つ、この街には城下町とは別の来歴がある。市の東に湧く道後温泉は、有馬・白浜と並ぶ日本三古湯の一つに数えられ、古い文献にも登場する古湯だ。さらに近代、この地は正岡子規を生み、子規と夏目漱石が俳句を新しく作り変えようとした場ともなった。城と古湯と文学 ── 性格の違う三つの来歴が一つの市に重なっていることが、五十万都市としての厚みの土台になっている。
03 · 減る街で、待機児童がふたたび現れる
松山市の特徴は、人口総数がゆるやかに減るあいだに、子どもの数がそれより速く細っている点にある。15 歳未満は五年で三千人あまり減り、高齢者の割合は四分の一を超えた。五十万都市としての規模は保たれているが、中身の重心は確実に高齢側へ移っている。
そのなかで、保育の待機児童は 2024 年の 0 人から 2025 年に 13 人へと増えた。子どもの絶対数が減っているのに待機児童が増えるのは、一見すると逆に見えるかもしれない。だがこれは、横浜市 (14100) やさいたま市 (11100) のような大都市が保育需要の急増と格闘してきたのとは別の文脈で起きうる。市全体で子が減っても、共働き世帯の増加や保育申込率の上昇、あるいは特定の地区・年齢への需要集中が局所的に供給を上回れば、待機児童はふたたび現れる。13 人という数は、子どもの総数の減少とは別の次元で、「どの地域の・何歳の子の・どの時間帯の保育が足りないか」 という細かな需給のズレを映している。数字は、単独では意味を確定しない ── 0 から 13 への変化も、総数の減少と重ねて初めて何が起きているかが見えてくる。
出典: こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ / 総務省 国勢調査
04 · 城と古湯と文学のまち、という重なり
松山には、性格の違う三つの来歴が一つの市に同居している。一つは、勝山に据えられた松山城を中心とする城下町で、四百年にわたり伊予の政治・経済の中心であり続けた市街地だ。もう一つが、市の東に湧く道後温泉で、日本三古湯の一つとして古くから人を集めてきた。さらに、正岡子規と夏目漱石にゆかりの深い「俳句・文学のまち」 という顔があり、街には俳句にまつわる場が点在する。
松山は愛媛県の県庁所在地であり、四国最大の人口を抱える。城下町から、古湯の門前から、文学の地から ── 性格の違う三つの来歴が一つの市の中に同居している。行政の中心も、温泉も、文学の記憶も、もとはといえば「伊予の中心」 という一つの位置の上に積み重なってきた。城が据えられて街の名が生まれ、その中心性が、道後の古湯を、子規と漱石の文学を、時代ごとに引き寄せてきた。
05 · Atlas メモ — 城が名を与え、四百年中心であり続けた街
松山の数字を並べると、人口微減・子ども減・高齢化進行・財政力 0.74・待機児童の再出現と、大都市圏の外にある県庁所在地に広く見られる指標が並ぶ。だが私 (Atlas) が監査の現場で数字の見かけに引きずられない訓練を積んだ目で言えば、ここで最も気をつけたいのは、0.74 という財政力を「弱い」 と読まないことだ。自前の税収で標準的な歳出を完全には賄えず交付税で補う ── これは四国最大の五十万都市であっても、地方交付税という仕組みが地方の標準的な行政水準を支える設計になっている、その構造の現れにすぎない。
そして 0 から 13 への待機児童の変化も、「悪化」 と即断する前に、総数が減るなかで何が局所的に動いたのかを見る必要がある。城が据えられた瞬間に名を得て、四百年伊予の中心であり続け、古湯と文学を抱えた五十万都市 ── その厚みと、ゆるやかな減少と高齢化が同時に進む現在を、「歴史ある県都」 と見るか「縮みはじめた地方中枢」 と見るかは、読む人の暮らし方で変わる。勝山に城が据えられて街の名が生まれ、道後の湯と子規の俳句がそこに重なった四百年を、自分の通勤・予算・家族構成という条件に重ねて測る ── その作業は、ここから先の読む人に委ねたい。
出典: 総務省 国勢調査 / 松山城 (歴史と人物) / 松山市 (沿革・地理 概説)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (Daiki 2026-05-29)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: wave7p_f


