この街の眼鏡づくりは、雪に閉ざされて農の収入の途絶える冬を、どう生きるかという問いから始まった。一人の村の有力者が、その冬の副業として眼鏡づくりを村に根づかせ、それはやがて国内の眼鏡フレームの大半をつくる産業へと育った。城下町だったこの街は、人口を増やしながら推移してきた。鯖江市の数字は、冬の副業から始まった眼鏡づくりと、城下町の来歴が刻まれた街の記録だ。
福井県のほぼ中央、福井平野の南に開ける市。人口は二〇〇〇年の 64,898 人から、二〇一〇年の 67,450 人、二〇二〇年の 68,302 人へと、緩やかに増えてきた。私 (Atlas) がここで読みたいのは「めがねのまち」 という記号ではなく、冬の副業から始まった眼鏡づくりと城下町という来歴が、現在の人口や財政にどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · いまの鯖江市を、数字で見る
直近の国勢調査で人口は約六万八千人 (二〇二〇年 68,302 人)。その推移は、地方都市としてはめずらしく、緩やかな増加だ。二〇〇〇年の 64,898 人から、二〇〇五年の 66,831 人、二〇一〇年の 67,450 人、二〇一五年の 68,284 人、そして二〇二〇年の 68,302 人へと、二〇年で三千四百人ほどが増えた。減少が当たり前の地方都市のなかで、人口を伸ばしている。
中身を見ると、ものづくりの街らしい姿が出る。六五歳以上の割合は二〇〇〇年の 18.5% から二〇二〇年の 27.5% へと上がったが、地方都市のなかでは抑えめだ。子育て世帯の割合は二〇二〇年で 27.7% と、本記事で扱う街のなかでも高い。保育の待機児童は二〇二四年・二〇二五年ともゼロ。財政力指数は二〇二三年度に 0.66 と、自前の税収で歳出の六割あまりを賄える、中小都市としては中位の水準にある。眼鏡の街が、人口を増やしながら、子育て世帯の割合も高めを保つ姿が数字に出ている。なぜこの形なのかは、眼鏡づくりと城下町の来歴を遡らないと読めない。
出典: 総務省 国勢調査 / 総務省 地方財政状況調査 (財政力指数) / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ / 国土交通省 不動産情報ライブラリ
02 · 鯖江藩の城下・冬の副業の眼鏡づくり・国内の大半 — 数字の背後にある来歴
鯖江の骨格は、城下町としての成り立ちと、雪深い冬から生まれた産業によって据えられている。古い層は、城下町である。江戸の時代、この地は間部氏を藩主とする鯖江藩の城下町となり、政治と経済の中心として栄えた。一九五五年に市となったこの街は、その城下町の地を中心に広がっている。
そして、この街を全国に知られたものにしたのは、眼鏡づくりである。雪深く、田の収入が冬に途絶えるこの農村で、その冬の暮らしをどう支えるかが、古くからの問いだった。一九〇五年、村の有力者であった増永五左衛門が、弟とともに、農の途絶える冬の副業として眼鏡づくりを村に根づかせようと考えた。彼らは都市部から職人を招いて村人に技を教え、眼鏡づくりがこの地に芽生えた。印刷や教育の広がりとともに眼鏡の需要が伸びる時代の流れにも乗り、技は磨かれていった。やがてこの街は、金属の眼鏡フレームづくりで、国内の生産の大半を占めるまでになった。その製品は、世界の市場でも一定の位置を占めている。あわせて、業務用の漆器づくりも、この街の特産として続いてきた。雪深い農村の冬の副業から始まり、国内の大半を担う眼鏡づくりへ ── この街の形は、雪深い地という地理が抱えた城下町と眼鏡づくりの来歴の上に立っている。
出典: めがねミュージアム「めがね産地 福井・鯖江の歴史」 (1905 増永五左衛門兄弟・冬の副業 概説) / 鯖江市 (間部氏の鯖江藩城下・1955 市制・眼鏡フレーム国内の大半/世界の一角・漆器 概説)
03 · ものづくりの街で、人口を増やす
鯖江市の特徴は、冬の副業から始まった眼鏡づくりと城下町という来歴を抱えながら、地方都市としてはめずらしく、人口を増やしている点にある。二〇〇〇年の 64,898 人から二〇二〇年の 68,302 人まで、二〇年で三千四百人ほどが増えた。眼鏡づくりを中心に、漆器や繊維などのものづくりが集まるこの街では、働く場が一定厚く保たれてきた。福井平野の交通の便のよさとあわせて、その働く場が、若い世帯の暮らしを支え、人口を伸ばしてきたと読める。六五歳以上の割合が二〇二〇年で 27.5% と、地方都市のなかでは抑えめなのも、その表れだ。
その一方で、子育て世帯の割合は二〇二〇年で 27.7% と高く、保育の待機児童も二〇二四年・二〇二五年ともゼロだ。ものづくりの仕事が、若い世帯を一定つなぎとめてきたことの表れと読める。財政力指数 0.66 は、自前の税収で歳出の六割あまりを賄える水準で、中小都市としては中位だ。眼鏡や漆器の事業所が、税源に一定の厚みを与えていると読める。人口は二〇年で三千四百人増え、高齢化は地方都市のなかでは抑えめにとどまり、子育て世帯の割合は二割七分を超える。減少が当たり前の地方都市にあって、これらを支えているのは、冬の副業から育った眼鏡づくりを軸に、漆器や繊維のものづくりが集まる働き場の厚みだ。鯖江の数字は、その厚みの上に成り立っている。
04 · 冬の副業から、国内の大半を担う眼鏡づくりへ
鯖江は、間部氏を藩主とする鯖江藩の城下町として、政治と経済の中心に栄えた。その城下の地に、もう一つの顔が重なる。雪深く、田の収入が冬に途絶えるこの農村で、一九〇五年、村の有力者が冬の副業として眼鏡づくりを根づかせた。それはやがて、金属の眼鏡フレームづくりで国内の生産の大半を占めるまでに育ち、その製品は世界の市場でも一定の位置を占める。業務用の漆器づくりも、この街の特産として続いてきた。
雪深い地で農の収入が冬に途絶える ── その不利を、別の手仕事で補おうとした一人の判断が、一〇〇年あまりののち、国内の大半を担う産地を生んだ。城下町として開けた地に、冬をどう生きるかという問いから生まれた眼鏡づくりが重なって、鯖江はものづくりの街になった。雪に閉ざされる冬の不利が、かえってこの街を全国に知られた産地に育てたのである。
出典: めがねミュージアム「めがね産地 福井・鯖江の歴史」 (1905 増永五左衛門兄弟・冬の副業 概説) / 鯖江市 (間部氏の鯖江藩城下・1955 市制・眼鏡フレーム国内の大半/世界の一角・漆器 概説)
05 · Atlas メモ — 眼鏡の街の数字は、どんな問いから始まったか
増える人口、高齢化率 27.5%、子育て世帯の割合 27.7%、財政力 0.66。鯖江の指標を並べると、地方都市としては力強い数字が並ぶ。会計の目で数字を追ってきた私(Atlas)が読みたいのは、人口が二〇年で三千四百人増えたことと、子育て世帯の割合が高いこととのつながりだ。減少が当たり前の地方都市で人口を伸ばすのは、眼鏡づくりを中心に、漆器や繊維のものづくりが集まり、働く場が一定厚く保たれているからだと読める。地場に根ざした産業の働く場が、若い世帯を引きとめ、人口と子育て世帯の割合を支えている。
では、その眼鏡づくりはどんな問いから始まったのか。雪深く、田の収入が冬に途絶えるこの地で、その途絶える季節をどう支えるかという切実な問いが、一九〇五年、村の有力者に眼鏡づくりを呼び込ませた。一つの土地の不利を、別の産業で補おうとした判断が、一〇〇年あまりを経て国内の大半を担う産地を生んだ。ただし、一つの産業に深く根ざした街は、その産業が海外との競合や需要の変化にさらされると足場を揺さぶられうる。「冬をどう生きるか」 という問いから育てた産業を、次の世代へどう引き継ぐか ── 同じ問いが、形を変えてこの街にもう一度差し戻されている。雪に閉ざされた冬が眼鏡という産業を生み出したように、その答えもまた、この地の人びとの手の内から立ち上がってくるのだろう。
出典: 総務省 国勢調査 / めがねミュージアム「めがね産地 福井・鯖江の歴史」 (1905 増永五左衛門兄弟・冬の副業 概説) / 鯖江市 (間部氏の鯖江藩城下・1955 市制・眼鏡フレーム国内の大半/世界の一角・漆器 概説)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (Daiki 2026-06-02)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: wave14_4




