この街は、海辺に広がる塩田で富んだ。江戸の後半、一人の人物が三年余りをかけて、市街の北に広大な、潮の満ち引きを使って海水を取り込む塩田を完成させた。この地の塩の生産は、一時、国じゅうの約半分を占めるまでになり、藩の財政を潤した。やがて塩づくりが整理されて廃されると、その塩田の跡などには大きな臨海の工業地が造られ、街は工業の地へと姿を変えた。そして、本州と四国を結ぶ長大な橋の、四国側の玄関口となった。入浜の塩田で富んだ地であるこの街は、平成の世の合併に加わらず、単独で歩みながら、人口を減らしてきた。坂出市の数字は、塩田と橋の玄関という来歴が刻まれた街の記録だ。
香川県の中央部、瀬戸内海に面する地に開ける市。人口は二〇〇〇年の 59,228 人から二〇二〇年の 50,624 人へと、減ってきた。この市は平成の合併を経ず、単独で歩んできたため、近年の人口の推移に合併由来の段差はない。私 (Atlas) がここで読みたいのは「県中央の市」 という記号ではなく、塩田と橋の玄関という来歴が、現在の人口や財政にどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · いまの坂出市を、数字で見る
二〇二〇年の国勢調査で、この市の人口は 50,624 人。五万人をわずかに超えるところにある。この市は平成の合併を経ず単独で歩んできたため、近年の人口の推移に合併由来の段差はない。二〇〇〇年の 59,228 人から、二〇〇五年の 57,266 人、二〇一〇年の 55,621 人、二〇一五年の 53,164 人、二〇二〇年の 50,624 人へと、二〇年で九千人ほどが減ってきた。
中身を見ると、塩田と橋の玄関の街が緩やかに年齢を上げる姿が出る。六五歳以上の割合は二〇二〇年で 35.9% と、三割を超えた。子育て世帯の割合は二〇二〇年で 18.9%、粗出生率は二〇二〇年で千人あたり 5.3。保育の待機児童は二〇二四年・二〇二五年ともゼロ。財政力指数は二〇二三年度に 0.78 と、自前の税収で歳出の八割近くを賄える、地方の市としては厚い水準にある。入浜の塩田で富んだ地が、合併を経ず単独のまま人口を減らす姿が数字に出ている。なぜこの形なのかは、塩田と工業地と橋の来歴を遡らないと読めない。
出典: 総務省 国勢調査 / 総務省 地方財政状況調査 (財政力指数) / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ / 国土交通省 不動産情報ライブラリ
02 · 入浜式の塩田・塩から工業地へ・橋の四国側玄関・単独の歩み — 数字の背後にある来歴
この街の骨格は、入浜式の塩田という来歴と、塩から工業地への転換、長大な橋の四国側の玄関、そして単独の歩みによって据えられている。始まりの層は、塩田である。江戸の後半、一人の人物が三年余りをかけて、市街の北に広大な、潮の満ち引きを使って海水を取り込む塩田を完成させた。この地の塩の生産は、一時、国じゅうの約半分を占めるまでになり、藩の財政を潤した。海辺の塩田が、この街の土台であった。
この塩田が、工業地へと姿を変えた。やがて塩づくりが整理されて廃されると、その塩田の跡などには大きな臨海の工業地が造られ、街は工業の地へと姿を変えた。そして、本州と四国を結ぶ長大な橋が架かると、この街はその四国側の玄関口となった。市となった道のりも、この街を映す。この街は、昭和の半ばに市となり、四国を代表する工業の都市が平成の合併で規模を広げるなかでも、合併には加わらず、単独で歩んできた。入浜式の塩田と、塩から工業地への転換、橋の四国側の玄関、そして単独の歩み ── この街の形は、海辺の塩田が築いた富の、塩と工業の来歴の上に立っている。
出典: 坂出市/入浜式塩田 (久米栄左衛門=通賢が文政7=1824年に着手し市街北部に広大な入浜式塩田を完成・坂出の塩生産は全国の約半分を占め高松藩の財政を支えた 概説) / 坂出市/瀬戸大橋と番の州 (瀬戸大橋の四国側の玄関口で、塩業整理で廃された塩田跡などに番の州臨海工業団地=1965-1972年造成が広がる 概説) / 坂出市 (香川県中央部で瀬戸内海に面す・1942年に坂出町ほかが合併し市制・四国を代表する工業都市が平成の大合併で規模を広げるなか、合併を行わず単独存続 概説)
03 · 入浜の塩田で富んだ地で、単独のまま人口を減らす
坂出市の特徴は、塩田と橋という来歴を抱えながら、合併を経ず単独で、人口を減らしている点にある。二〇〇〇年の 59,228 人から二〇二〇年の 50,624 人まで、二〇年で九千人ほどが減った。塩田から工業地へと姿を変え、橋の玄関口ともなったこの街でも、若い世代の一部がより大きな都市の方へ移って、街全体の年齢が上がってきたと読める。六五歳以上の割合が二〇二〇年で 35.9% と三割を超えたことは、その表れだ。
その一方で、保育の待機児童は二〇二四年・二〇二五年ともゼロで、子育て世帯の割合は二〇二〇年で 18.9%、粗出生率は二〇二〇年で千人あたり 5.3。財政力指数 0.78 は、自前の税収で歳出の八割近くを賄える、地方の市としては厚い水準にある。人口は二〇年で九千人ほど減り、高齢化も三割を超えた。それでも財政の体力を地方の市としては厚いほうに保っているのは、塩田の跡に造られた臨海の工業地が、住む人の数とは別に税収を支えているからだ。塩を焼く営みは消えても、平らにならされたその土地そのものは、工業という別の富の源に姿を替えて働き続けている ── 坂出の体力は、人口の段より、この用地の使い継ぎのほうに出る。
04 · 塩田が工業地に替わり、単独で細る街
坂出では、海辺の同じ一画が、塩田から工業地、そして橋の玄関へと役どころを替えてきた。一つは、潮の満ち引きを使う入浜式の塩田で、一時は国じゅうの約半分の塩を産んだ、塩田の地という来歴を持つ。もう一つが、塩づくりの整理の後、塩田の跡などに臨海の工業地を造った、工業の地としての性格を抱える。そして、本州と四国を結ぶ長大な橋の四国側の玄関口となった、橋の玄関という顔を持つ。潮の満ち引きを使う入浜式の塩田が、一時は国じゅうの約半分の塩を産んだ。その跡地に臨海の工業地が興り、やがて本州と四国を結ぶ橋の四国側の玄関口が開いた。
塩田、工業地、橋 ── 同じ海辺の土地が、時代ごとに役どころを替えながら使い継がれてきた。本州を望む香川の北で、坂出の輪郭は、選ばれた地形ではなく、一つの用地が幾度も読み替えられてきたその重なりからできている。
出典: 坂出市/入浜式塩田 (久米栄左衛門=通賢が文政7=1824年に着手し市街北部に広大な入浜式塩田を完成・坂出の塩生産は全国の約半分を占め高松藩の財政を支えた 概説) / 坂出市/瀬戸大橋と番の州 (瀬戸大橋の四国側の玄関口で、塩業整理で廃された塩田跡などに番の州臨海工業団地=1965-1972年造成が広がる 概説) / 坂出市 (香川県中央部で瀬戸内海に面す・1942年に坂出町ほかが合併し市制・四国を代表する工業都市が平成の大合併で規模を広げるなか、合併を行わず単独存続 概説)
05 · Atlas メモ — 用地の使い継ぎから坂出を読む
坂出の数字を並べると、単独のまま減る人口・高齢化率 35.9%・子育て世帯の割合 18.9% と人口の細る指標が並ぶ一方で、財政力 0.78 という、人口規模のわりに厚い数字が交じる。だが私が指標の並びより辿りたいのは、海辺の塩田という古い富の土台を、塩づくりの終わりとともに臨海の工業地という新しい土台へ読み替えた、その平らにならされた用地が時代をまたいで受け継がれた道筋だ。塩を焼くために整えられた広い海辺が、塩づくりの後、工業の用地として読み替えられた。一度ならされた用地が、次の産業の土台となった、という連鎖は、この街の数字をよく説明する。
もう一つ考えたいのは、人口が減りながらも、財政力が 0.78 と地方の市としては厚い、という点だ。これは、塩田の跡に造られた臨海の工業地が、雇用と税収の土台となっていることの表れと読める。塩田の跡の臨海工業地が雇用と税収を支え、橋の四国側の玄関という位置も人と荷の通り道としての強みをもつ。人口の数だけでは測れない、産業と立地の土台の厚さは、財政の数字のほうに出る。塩を焼くために平らにならされた海辺が、塩づくりの後そのまま臨海の工業地の器になった。坂出の財政力が人口規模のわりに厚く保たれているのは、この用地の使い継ぎと、本州へ渡る橋の四国側という通り道の位置が効いているからだろう。そこから先、その厚みに暮らしの足場を見いだすかどうかは、住む人の見立てに委ねたい。
出典: 総務省 国勢調査 / 坂出市/入浜式塩田 (久米栄左衛門=通賢が文政7=1824年に着手し市街北部に広大な入浜式塩田を完成・坂出の塩生産は全国の約半分を占め高松藩の財政を支えた 概説) / 坂出市/瀬戸大橋と番の州 (瀬戸大橋の四国側の玄関口で、塩業整理で廃された塩田跡などに番の州臨海工業団地=1965-1972年造成が広がる 概説) / 坂出市 (香川県中央部で瀬戸内海に面す・1942年に坂出町ほかが合併し市制・四国を代表する工業都市が平成の大合併で規模を広げるなか、合併を行わず単独存続 概説)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (wave-cs1 2026-06-05)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: wavecs1_





