わずか六年で廃された城の城下町が、城を失ってなお四百年、鋳物と漆器の町として生き延びた。高岡市の数字は、城ではなく職人の手仕事を背骨に据えて続いてきた、その来歴の記録だ。
加賀前田家が築いた城の城下町として開け、一国一城令で城を失ったのちは商工業の町として続いてきた富山・呉西の市。人口は 2015 年の 172,125 人から 2020 年の 166,393 人へ、五年で六千人近く減った。私 (Atlas) がここで読みたいのは「ものづくりの街だ」 という印象ではなく、城下町・廃城・鋳物という来歴が、現在の子どもの数や財政力にどう翻訳されているか、という因果の筋道だ。
01 · 数字でたどる、いまの高岡市
2020 年の国勢調査で人口は 166,393 人。2015 年の 172,125 人からの五年で、六千人近く減った。富山県では富山市に次ぐ規模を保ちながら、人口を細らせている市だ。
子どもの数は、総数よりも速く減っている。15 歳未満は 19,223 人 (2015 年) から 16,902 人 (2020 年) へ、五年で二千人あまり少なくなった。同じ期間に 65 歳以上の割合は 31.4% から 33.0% へ上がり、高齢者が三人に一人を超えている。子育て世帯の割合は 19.4% (2020 年)。住宅地の地価は 1 ㎡あたり約 2 万 9 千円 (2026 年 29,200 円/㎡) で、今回並べる三市の中でも低い水準にある。財政力指数は 0.71 (2023 年) で、1.0 には届かないが、地方の市の中では税収基盤が比較的厚い側にある ── 不足分は地方交付税で補う構造の中にあるが、自前で賄える割合は長岡や呉より高い。保育の待機児童は 0 人 (2025 年) だ。ここでも見ておきたいのは、子どもの絶対数が減る街での待機児童ゼロは、供給が需要に追いついた帰結と、需要そのものが細った帰結の両方を含みうるという点だ。なぜこの形なのかは、城下町と廃城の来歴を遡らないと読めない。
出典: 総務省 国勢調査 / 国土交通省 不動産情報ライブラリ / 総務省 地方財政状況調査 / こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ
02 · 城下町・廃城・鋳物 — 数字の背後にある来歴
高岡の骨格は、城を失ってなお続いた職人の町という来歴そのものだ。一六〇九 (慶長十四) 年、加賀前田家二代の前田利長が隠居の城として高岡城を築き、入城する。利長は北陸街道を町内へ引き込み、武家地・町人地・社寺地を計画的に町割りした ── 街道を呼び込んで街区を据える、計画的な城下町づくりである。
この街の運命を決めたのは、城そのものではなく、利長が城下に呼び寄せた職人たちだった。利長は砺波郡西部の金屋から七人の鋳物師を招き、無租地などの手厚い保護と特権を与えて、鋳物づくりを行う鋳物師町 (金屋町) を設けた。これがのちの高岡銅器の起こりである。さらに利長が武具や箪笥・膳といった生活用品を作らせたことが、高岡漆器の元になった。城下に手仕事の集積が植えつけられたのだ。
ところが城は長くもたなかった。一六一五 (元和元) 年の一国一城令で、高岡城は築城からわずか六年で廃城となる。城を失えば城下町は衰える ── そうならなかったのは、三代の前田利常が町民の転出を規制し、高岡を商業都市へ転換させる政策を採ったからだ。城は消えても、鋳物と漆器を担う職人とその町割りは残り、高岡は商工業の町として生き延びる。城を背骨にした城下町ではなく、職人の手仕事を背骨にした町へ ── 高岡の四百年は、城を失った時点で別の軸へ組み替わっている。
03 · 総数より速く、子どもが減る
高岡市の特徴は、人口総数が六千人近く減るあいだに、子どもの数が二千人あまり減っている点にある。総数の減り方より、子どもの減り方のほうが速い。出生の細りと若い世代の流出が同時に効く、地方都市に典型の形だ。
そのうえで、保育の待機児童は 0 人 (2025 年) になっている。ここでも「ゼロ」 の意味は丁寧に読みたい。子どもの絶対数が五年で二千人あまり減っている街では、待機児童ゼロは保育の供給が追いついた帰結であると同時に、預けたい子の数そのものが細った帰結としても読める。都心近郊で子どもが増える中でのゼロとは、背後の力学が逆を向いている。同じ「待機児童ゼロ」 でも、子どもが増えているか減っているかで意味はまるで変わる。子どもがゆるやかに減り、高齢者が三人に一人を超え、子育て世帯の割合が二割を切る ── そのいくつもの指標が同じ方向へ進む呉西の中核市で、待機児童という一つの数字もまた、単独では意味を確定しない。
出典: こども家庭庁 保育所等関連状況取りまとめ / 総務省 国勢調査
04 · 城が消えても、背骨を組み替えた町
高岡市は、固有の機能をいくつも抱えている。一つは、四百年前に七人の鋳物師から始まった金属の手仕事の集積だ。当初は鉄の日用品を作っていた鋳物は、やがて銅の美術工芸品を手がけるようになり、高岡銅器として全国へ広がった。漆器とあわせ、高岡は前田家ゆかりの町民文化が積み重なった町として、その来歴が国の日本遺産にも位置づけられている。もう一つが、廃城ののち城跡が公園として残された高岡城跡で、城を失った街がその記憶をかろうじて地図の上にとどめている。
高岡は呉西の交通の要にあり、古くから職人と商人の町として続いてきた。城を築き、城を失い、それでも鋳物と漆器を背骨に商工業の町として生き延びた ── 「城ではなく手仕事を軸に据えた」 という出自が、金属工芸と城跡公園という現在の機能を束ねている。城を失った時点で運命が尽きてもおかしくなかった街が、職人の集積という別の軸へ乗り換えて四百年続いてきた。高岡という町は、城が消えたあとも背骨を組み替えて立ち直った街なのだ。
05 · Atlas メモ — 城を失った街が、なぜ四百年続いたか
高岡の数字を並べると、人口減・子どもの速い減り・高齢化進行・財政力 0.71 と、地方の中核市に広く見られる指標が並ぶ。私 (Atlas) は公認会計士として似た数字の差を見比べる性分なので、ここで丁寧に分けて読みたいのは、0.71 という財政力だ。1.0 には届かず、不足は地方交付税で補う構造の中にある数字だが、今回並べる長岡 (0.59) や呉 (0.58) より自前で賄える割合は高い。城を失っても鋳物と漆器という付加価値の高い手仕事を背骨に据え続けてきた来歴が、税収基盤の厚みという形でいまの数字に滲んでいる、と読むこともできる。もっとも、財政力は街の良し悪しの点数ではなく、自前の税収と歳出の比を表す制度上の指標にすぎない。
高岡城は、築かれてわずか六年で廃された。城を失えば城下町は衰える ── そうならなかったのは、城ではなく、前田利長が呼び寄せた七人の鋳物師を背骨に据えていたからだ。城が消えた時点で運命が尽きてもおかしくなかった町が、手仕事という別の軸へ乗り換えて四百年続いた。財政力 0.71 が長岡や呉より高めなのも、付加価値の高い鋳物と漆器を握り続けた来歴の名残と読める。看板を失っても残る幹を持っていたか ── この問いは、住まいを選ぶときの足場にそのまま置き換えられる。
出典: 総務省 国勢調査 / 高岡市 (沿革・地理 概説) / 高岡市 (日本遺産 高岡の歴史ストーリー)
編集メモ: 数値・出典はすべて公的統計が由来です。 文体は Atlas の語り口に揃え、 AI (atlas-handcrafted-reverse-v1 (Daiki 2026-05-29)) が文章の整え方を担当しています。 評価語・予測語 (「狙い目」「魅力的」 等) は意図的に載せていません。 改訂識別子: wave7x_a




